高井宏子姉の作品に始めて接した時私は驚いて「あなたは日本画だったのに いつの間にこうなられたの。是、本当に七宝焼なの」「はい、七宝焼です」と。 精密で克明に画かれた建物の煉瓦一つ一つの線の美しさに、私は胸のときめきを覚えた。
宏子姉は人生にしっかりとした夢を画いておられ、それにむかって着実な努力をされた。 七宝焼への転向の動機は幼い日のあどけない感性にさかのぼる。手にしたビー玉、 おはじきの光が、彼女の心の隅で「すてきだった」と囁きつづけた。 「日本画に光を加えてみたい」と考えて作り始めた七宝焼は小さなブローチなどであった。 七宝焼の色出しの行程で、化学薬品の知識を必要と知った宏子姉は夢中で化学の勉強をした。 絵が画かれた銅板を炉に入れている間の不安と緊張は気がおかしくなりそうでした。「でも 捜真で学んだのだから時にお祈りしたりして」と。確かに彼女の作品が温かさと、 清らかさと、美へのひたむきな情熱を感じさせるのは、心底に少女の日に聞いた聖書 のみ言葉が力になっていたと私には感じられた。実に爽やかな作品を残して下さった。 もっともっと作っていただきたかった。
全身全霊をもってそそぎこんだ幻の現実は崇高に感じる。
ひたむきに。
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セピア色の古ぼけた写真の中で、彼女が微笑んでいる。
小学校五、六年頃のアルバムの一ページである。
戦後、間もない当時の我々小学生の中にあって、彼女だけが明るいコスチュームで、 ふくよかで、屈託がない。
おそらく、父親が外国航路の船長という環境もあって、彼女は、幼い頃より洗練された ハイカラさを身につけていったものと思う。とに角、横町育ちの悪ガキ小僧の我々には、 眩しい存在だったに違いない。
後の彼女の作品には、一貫して、モダニズムの芳香が感じられ、それを物語っている ように思う。
私の家に遊びに来た時の彼女は、いつも人を笑わせ、自分もよく笑い、話に華を咲かせ る。今、制作している作品のこと、子供のこと、下世話な話まで、時間を忘れて会話に 没頭するが、その熱気には、不思議と人間臭さや、生活臭といったものが伝わってこな い。今にして思えば、真のお嬢だったのかも知れない。
我々の前より旅立っていった彼女は、今日も無垢な瞳で、美を追い求め、三世の国で
感嘆の日々を送っているに違いない。
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高井宏子氏とはもう少し七宝について、それも「美しい七宝」について語り合いたかった と無念の思いでいっぱいです。
七宝作家と称する人は多いのですが、そこに美しさ高貴さを見い出し、大切に思っている 作家は少ないのです。その数少ない作家の代表のように氏の作品は魅力に満ちていました。 工芸の中の七宝というものを超えて、氏の風景画はありました。僕は氏の作品の中に これからの気配というものを感じる時がありました。
七宝の世界はその魅力において作り手の感性をはるかにしのぐという事実を、気づかない ままの作品が多いのです。それが多くの人々に七宝との出合いを美しくないもの、安易な ものとして興味を失わせたと思っています。
高井宏子氏は風景画の中で、本来の七宝の美しさ、楽しさを品格を持って語っていたの です。氏の作品に触れた方は改めて明るい画面の中に、七宝をこよなく愛している姿を 見ることでしょう。
数多いファンを、それこそ置きざりにして氏は去ってしまいました。氏の風景画に気配 としてあったものは永遠の美しい色と薫りではなかったかと今、思っています。それを 求めての旅を続けていたのかもしれません。
氏が語った「私の七宝は透明な世界を旅して」という言葉は作品すべてを、人生を語り
ます。
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