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[思うまま七宝画を描き続けた君に]



思うままに七宝画を描き続けた君に
高井利雄

美しい花に心を寄せて、美しい色を美しいと思い、陽にきらめくビー玉のように繊細な心 をもって、それでいて、大胆に、来る日も来る日も、君は七宝画を描き続けた。 アトリエで制作に没頭する君の後ろ姿はおそろしい程だった。白い画面に鋭い針で切り 込にでいるとき、小さな隙間に細い筆で釉薬を差し込んでいるとき、何百度にも熱せられた 真っ赤な炉を覗き込んで入るとき--- 夢中に打ちこむ姿は、しかし、楽しそうでもあり、 夢心地のようでもあった。こうごうしくもあった。外の何ものをも寄せつけぬその姿は、 まさに美しく輝く七宝に溶け込んでいるようであった。迫力にみちた君の絵が、そのこと を如実に物語っている。でも、その姿は今はもうない。

しかし、、いつでもこのように描けていたわけではない。一つのテーマ・画題が決るまでには、 何日も何日も苦しんだ。一日中部屋にとじこもって、じっと天井をみつめていることもあった。 気をかえて、花の手入れをしていることもあった。友人といつまでも語っていることもあった。 一見楽しげなひとときにみえても、テーマをさがしてやまない風がうかがえた。それが一旦 決ると、夜中でも蒲団をとび出してアトリエに入った。あとは何も耳に入らず、描くことに 没頭する。幸せそのものの姿であった。美しくも思えた姿であった。七月三十日、入院の前日 まで、君はこうして美しく透き通るように輝く七宝の絵を描き続けた。

そんな君が病の床でぽっつりと言た。
「もうかけないのか。」
僕は涙がこぼれた。君の目にも涙が光った。

アトリエに立つと、君のあの言葉が今も僕の心に重くのしかかって胸をしめつける。生きよう として病と闘いつつ、そのはげしい濁流の中を押し流されていく君に、何の手をさしのばすこと ができなかったあのときの無念さが、いつまでもよみがえって忘れることができない。 君は、しかし、それ以上に悲しかったであろう。残念であったろう。悔しかったであろう。君 の気持ちを思うとたまらない。

こんなにまで打ち込んだ七宝の絵を、君が去ったからといって、そのままにしておくことは できない。君のために何かしてあげられることはないかと、僕の心は晴れることはなかった。

十月のある日、訪れたムンク展で僕の目にとまったムンクの画集--- これだ画集だと思うに いたって僕の心は少し軽くなった。画集をつくることで心が晴たわけではない。できること なら、こういう形で画集をつくりたくはなかった。しかし、今日ここに、万感の思いこめて 涙の粒のきらめきを添た七宝画集を君に贈る。あらゆる意味で、君の意には添わないかもし れないが、僕の心と共に受け取ってほしい。精一杯生きた君の生涯を傍でみることができて 僕は幸せだ。

ありがとう。

おわりに、この画集をつくるにあたり、絵を所蔵されている方々をはじめ、文をお寄せいた だいた捜真学院長の日野綾子先生、友人の田中茂様、樋村允彦様、三彩社の藤井和子様、 カメラマンの高野卓雄様、デザイナーの菊島美和子様、その他多くの方々のご協力を得ました ことに深く感謝いたします。ありがとうございました。

1994年7月



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