京都国立博物館
平等院
三十三間堂
東寺<教王護国寺>
広隆寺
法金剛院
仁和寺
六波羅密寺
永観堂
京都国立博物館
平等院(探訪日:1995/11/23)
- 鳳凰堂
宇治市の宇治川のそばにある平等院は平安時代後期(1052)に宇治関白頼通公が、父道長公の別荘を寺院にしたものであり、10円硬貨に刻まれている阿弥陀堂はその1年後に建てられた。屋根の両端に鳳凰を載せている為、鳳凰堂とも呼ばれている。鳳凰堂の前には阿字池という大きな池があり、堂を水面に写し出している。内部には3m程の阿弥陀如来座像があり、光背は天井から吊されている天蓋に届かんばかりに延びている。
顔は丸顔で手は阿弥陀定印(上品上生印)を結んでいる。そして、堂の壁の上部には52体の雲中供養菩薩像という雲に乗って楽器を奏でていたり踊っていたりする小さな像が取り付けられている。
- 宝物館
宝物館では2体の鳳凰像と梵鍾、回りには鳳凰堂の扉絵とその模写したものが展示されていた。扉絵には人が死んだ時に仏の集団が雲に乗って迎えに来るという来迎図が描かれている。
三十三間堂(1995/11/24)
京都市七条通りに面し、京都国立博物館の前にある三十三間堂は平安時代後期(1164)に、後白河上皇が千一体の観音を安置する為の仏堂を建立した。柱の間が三十三あるため三十三間堂と呼ばれる。この三十三間堂には中央に3m程の大きな千手観音を中心に左右に五百体ずつのほぼ等身大の千手観音が整然と並べられている。その数には本当に圧倒される。千一体の千手観音の前には二十八部衆が横一列に並べられている。二十八部衆の動きのある像が整然と静かに合掌してたたずむ千手観音を引き立たせている。二十八部衆の更に外側には雷神、風神像が配置されている。向かって右端には雷神があり、その髪は後ろになびき、かっと口を開けて下界を見下ろしている。鎌倉時代の彫刻。反対側の左端にはその相棒の風神は細長い袋を背負い、同じく口を開けて下界を見下ろしている。
東寺<教王護国寺>(1995/11/24, 1998/2/25)
平安遷都を果たした桓武天皇が羅生門の東西にそれぞれ大寺を置いた。そのうち、東の寺が東寺で、西の寺は今は存在しない西寺である。
- 講堂
中心には高さ4、5mの大日如来座像があり、その回りを4体の如来が囲む。向かって右側には金剛波羅密多菩薩が座り、その回りには4体の菩薩。向かって左側には不動明王がいて、その回りには4体の明王がいる。これによって立体曼茶羅を表現しているという。そして、四方には四天王と帝釈天、梵天がいる。一番右端にいる持国天は、口をかっと開け、邪鬼を踏み付け、等身大より高いところから見るものを威圧する。不動明王は高さ3m程はあり、これだけ大きな不動明王は初めて見る。
- 金堂
5、6mの巨大な薬師如来とその両脇に日光、月光菩薩がいる。大きな堂と巨大な薬師如来、日光、月光菩薩の間隔がなんともうまいバランスで素晴しい。日光、月光菩薩はとてもやさしい女性的な顔をしていて思わず見とれてしまう。奈良の薬師寺の薬師如来の両側に立っていた日光、月光菩薩はこうすれば見るものは美しいと感じるだろうという作者の意図が見えてしまうようなところがあったが、ここの日光、月光菩薩は自然で、作者の存在は見えず仏像の存在その物に素直に入り込める。
- 宝物館
五体の五大虚空蔵菩薩があり、それぞれ馬や獅子、孔雀などの上にのっている。別の部屋には平安時代の作とされる巨大な千手観音がいた。その脇には有名な兜抜(とばつ)毘沙門天が立っていた。丸くつり上がった目をし、異国人の服装をしている。
宝物館公開は3/20〜5月下旬と9/20〜11月下旬。
広隆寺(1995/11/24)
太秦にあるこの寺は西暦603年に建立され、聖徳太子建立の日本七大寺の1つである。
霊宝殿という建物に入ると、さまざまな仏像がずらっと博物館のように展示されている。まず、十二神将が並びそれを順に見て行くうちに、目当ての弥勒菩薩半跏思惟像が丸い照明を当てられていた。片足をおろし、その足の上にもう片方の足を組み、ほっそりした中指と親指をそっと付け、細い右手を頬の近くまで上げ、ややうつむき加減のその顔はとても穏やか静かで美しい。
法金剛院(1995/11/24)
花園駅のそばにあり、蓮の寺とも呼ばれるこの寺は平安時代の始め(830)右大臣清原夏野が山荘を建て、死後、寺となった。庭には池があり、木や花が植えられている。
本尊は阿弥陀如来で光背には天女が踊っている彫刻が施されている。その横には厨子に入った四手の十一面観音がいる。厨子の扉には鮮やかな色で十二天が描かれている。
仁和寺(1995/11/24)
奇麗な庭園があった。中門に持国天と多聞天、金堂にははるか遠くに阿弥陀如来がいた。
六波羅密寺(1998/2/24)
空也像がある。顔をやや上向きにあげ、わずかに開いた口から六体の小さな弥陀の像が出ている、教科書の写真で見た事のある像だ。
唱えた念仏は次々と小さな弥陀と変換され、虚空へと吐き出されて行く。
永観堂(1998/2/24)
首を左に曲げ、後ろを見返る、見返り阿弥陀がいる。
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