オオハクチョウ

 平成五年一月五日、車は凍りついた東北自動車道を雪煙をたてながら南に向かって走っていた。白く閉ざされた風景がだんだん解き放たれるようにくすんだ枯草色に変わっていく。年末年始を過ごした北海道はもう遥か海の彼方、昨夜までそこにいたというのにまるで遠い過去の事のような気さえする。十日間の短い北の旅が終わったのだ。

 「伊豆沼にでも寄って帰ろか」あまりにあっけない旅の終りに少しでも景気をつけようと思ったのか、先輩のI氏が提案した。「そうですね、行きましょうか…ガンもいますしね、ハクチョウもいますよ、きっと…」一度は行ってみたいと思いながら、なかなか行く機会のなかった宮城の伊豆沼、そこに行くことが嬉しくないはずはないのだが、気分は今一つ乗ってこない。枯草色の風景が妙に生ぬるく思えたのは僕だけではなかったのだろう、「あったかそうやなあ…」I氏がぽつりとつぶやいた。
 
 その日、伊豆沼では狂ったような風が吹いていた。水面は大きく揺らぎ、ユリカモメは風に流されまいと懸命に風上に向かってはばたき続ける。沼の縁でカメラを構えると容赦なく砂や水しぶきが飛んできた。冷たい。北海道のそれとは異質の寒さが襲ってくる。生ぬるい風景なんてとんでもない。

 この冷たい強風の波間にオオハクチョウ達は優雅に漂っていた。流されもせず、怯える様子もない。逆光にきらめく水面を漂う彼等の姿をファインダーにとらえ、ガタガタ震えながら覗いていると一羽が風に向かって大きくはばたいた。ここはもう北海道ではない、水は凍っていないし、風が吹けば波が立ち、陽が射せば水面はきらめくのだ。当然のことに驚きつつ、指先の震えをこらえ一枚、一枚と確かめるようにシャッターを切り続けた。
                 
                                  (紀の国 1994.1)
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