ユリカモメ


 広島市内の高校に僕は毎日呉駅から鈍行列車で通っていた。呉線沿線の同級生は皆同じ電車に乗っていたから、広島に住んでいる連中からはひっくるめて「呉線軍団」などと呼ばれ、ちょっと馬鹿にされていた。きっと、呉線が当時ですら珍しい単線で、大都市広島の連中の目には相当な田舎と映っていたからに違いない。「ドングリの背比べ」、「目くそ鼻くそを笑う」とはこのことだ。
 呉線は、瀬戸内海の海岸線沿いを走っている。海に浮かぶ沢山の島々を眺めながら毎日ゴトゴト電車に揺られるのも、それはそれで悪くなかった。当時は視力がまだ良くて、呉線軍団仲間と、沖に浮かぶタンカーに書かれた文字を当てたり、黒い潜望鏡を突き出した自衛隊の潜水艦を見つけては喜んでいた。
 約1時間の電車通学の中での冬の楽しみは、呉駅を発車してすぐの二河川(にこうがわ)だった。川には冬になると白いカモメが沢山群れていた。どうも、川沿いに立つ小さなビルの窓から誰かが餌を撒いているらしい。その古ぼけたビルの3階くらいのところで、カモメ達はいつも翼を羽ばたかせていた。当時、特に鳥に興味があったわけではないが、10秒もかからぬ間に通り過ぎていく光景が何故だか気になって、呉駅を出発すると見逃さないよういつも窓の外を気にしていた。
 「川のところに鳥がおるじゃろう?」「おお、おるおる」「あれ、撮りに行ってみん?」「行こうか」当時、一緒に写真同好会で活動していた呉線軍団のOと僕は、日曜日、カモメを撮りに行くことにした。
 肩掛けカバンに機材を詰め、わくわくしながら川に出掛けると、日曜日でも休まずちゃんとカモメはいてくれた。「ユリカモメいうんじゃと」何事にも事前の下調べをかかさぬOは、学校の図書館であらかじめ鳥の名前を調べていた。「ふーん・・・」何事も行き当たりばったりの僕は、Oの研究成果発表を聞くのもそこそこに、カメラの準備を始める。
 ユリカモメは人見知りなど一向にする様子もなく、護岸の下を流れる川の浅瀬で餌探しに夢中になっていた。赤い嘴、赤い足。近くで見るとなかなか端正な鳥だ。安上がりの白黒フイルムとはいえ、1枚1枚が小遣いだから、慎重にシャッターを切る。鳥の周りを黒く焼き込んで、白いカモメを浮き立たせたらモノクロでも綺麗に仕上がるだろうなどと、撮らぬ狸の皮算用。
 調子よくシャッターを切っていると、ガラガラーッと音をたて、川向かいの病院の窓が開いた。鳥達が一斉に舞い上がる。「キャーッ、キャッ、キー」ユリカモメは賑やかに鳴きながら病院の窓に群がった。窓からは、バケツと手しか見えない。誰かがバケツの中に手を入れ、何かを掴み、パッと空中に投げる。その度にカモメが我先にと食らいつく。「病院じゃったんじゃ」「うん」「ああやって、餌をやっとるんじゃ」「うん」「よう、馴れとるのお」「ほんまじゃ」「入院しとる人かのお?」「何が?」「餌やっとる人」「・・・そうじゃ、きっとそうじゃ」僕らの謎の入院患者は、バケツが空っぽになるまで、カモメに餌をやり続けた。 
(2000/11/19)