クロサギ


 1992年の6月から1年と少しの間、和歌山で仕事をしていた。慣れぬ仕事、慣れぬ土地、慣れぬ和歌山弁と慣れないことだらけ。おまけに職場には酒豪が揃っていて、連日連夜酒ばかり飲んでいたものだから、週末は布団の中で唸っていた。鳥など見に行けるはずがない。
 広い広い和歌山県、探せば鳥はいくらでもいたのだろうが、そんな状態だったので、鳥見の場所は結局二ヶ所しか覚えられなかった。一つは秋のタカ渡りで有名な日ノ岬。もう一つは紀ノ川の河川敷だ。
 93年の4月のある日、紀ノ川の河川敷で写真を撮っていたが、今ひとつパッとしなかったので、思い立って日ノ岬に出掛けた。秋の渡りの名所だから、春にだって何かいるだろう、暖かい土地だから渡ってくるのも早いだろうという、いい加減な動機だった。移動に片道2時間以上かかるだろうが、どうせ暇だ。
 和歌山を出たのが午後1時半を回っていたので、岬の手前、煙樹ケ浜を通過する頃にはもう、お日様が傾き始めていた。遠くから見る岬はなんだか淡く霞んでいた。近づくにつれ、霞の正体が岬全体を覆う桜の花と、夕方の斜光線に舞う桜の花びらだと分かった。「ふわー・・・」初めて訪れる春の日ノ岬は、桜の岬だった。
 期待した渡り鳥は見あたらず、ポカンと桜を眺めただけで岬を後にする。まあいいか、と思いながらの帰り道、海岸で大きな鳥影を発見した。「クロサギ!」春の夕暮れ、波も立たないぼんやりした磯に真っ黒なクロサギが突っ立っている。潮風があんまり心地よいので、カメラを取り出して車を下りてみることにした。クロサギは岩場から岩場へ移動しながら餌を探し始めた。「日が暮れるまでつきあってみるか・・・」誰もいない海岸で、僕は一人つぶやいてみた。 
(2000/4/10)