思いがけない一日

 毎年、春になると街外れのダムに足を運ぶ。無機質なコンクリートの堤から吐き出された水が、ゴツゴツした岩の間を流れ、ダム下流はちょっとした渓谷の趣だ。お目当てのヤマセミに振られ、ふらふらと川下に向かって歩く。釣人の邪魔にならないよう、ネコヤナギが花開く河原に腰を下ろした。ゴミや水の臭いが少々気にはなるが、陽射しはポカポカして、これはこれでなかなか心地好い。

 「チチチ…。」流れる川の音に混じってキセキレイのさえずりが聞こえてきた。双眼鏡で覗いてみると、雄のキセキレイが尾羽を上下に動かしながら、岩の上で自慢の喉を披露している。「ウーム、これは…」いつも比較的控え目に暮らしているキセキレイが、思いの外頑張っている。番いなのだろう、近くには雌のキセキレイもいる。「なるほど、彼女のために頑張っているのだな」と一人納得する。縄張りがあるらしく、他のキセキレイが近付こうものなら雄は怒りをあらわにして、それはそれは執拗に追いかけまわし、終いには縄張りから追い出してしまう。そして、勝者はソングポストに舞い戻り、勝ち誇ったように歌い続けるのだ。

 キセキレイが縄張り争いを繰り広げている間、我関せず、石の間や川底の虫を探して歩いている鳥がいる。セグロセキレイだ。流れが少し急になった所では風が吹き上がっているのか、川面をカゲロウが飛び交っている。石の上に佇むセグロセキレイは、そのカゲロウ目掛けてヒラリヒラリとフライングキャッチを繰り返す。「ムムム…」嘴には一匹、二匹、三匹と、数え切れないカゲロウがくわえられ、終いには、まるで髭をたくわえたような顔付きになってしまった。「これはなかなか面白い!」セグロセキレイの妙技に思わず見とれてしまう。巣では愛する我が子が待っているのだろう。

 水が汚れ、川岸をコンクリートで固められ、河原にゴミがあふれかえって悪臭を放っても、セキレイ達は決して川を見捨てない。持ち前のバイタリティーで餌を探し、ねぐらを探し、巣を作る場所を探し出す。水辺に出かければいつもそこにセキレイ達の姿があることに、普段はなかなか気が付かないものだ。ヤマセミに振られたおかげで思いがけない一日を過ごすことができた。こんな春の日をこれからは大切にしようと思う。

 夕刻、双眼鏡をザックにしまって腰を上げた。釣人のいなくなった河原に、キセキレイの声が響いていた。
                                  (BIRDER 1996.11)


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