九州の思い出

 当初、行かない予定だった九州へ、たった2万円で行けるプランがあると誰かから吹き込まれ、とうとう行く羽目になってしまった。こういう書き方をすると、「実は行きたくなかったんだよ」という感じがするが、現実にはどこかへ旅行するときはいつも胸が踊るものである。しかし、その胸躍る旅立ちも出鼻をくじかれることになった。我々6人(吉田、志知、安井さん、おばちゃん、おばちゃんの友達の山本さん、中田)はそれぞれに、かの有名な5枚綴り1万円だった、そして今は5枚綴り1万1千円の普通列車乗り放題、線路は続くよどこまでも、の青春18切符を握りしめていた。その結果、九州まで、吉田の編み出した夢のプランでしても12時間という膨大な時間を費やす計画となってしまったのだ。
 大阪駅に見送りに来て下さった徳野さんと岡田さん姉妹の差し入れ、そして前日わざわざ部室にもってきてくれたシショーの差し入れをもって(荷物持ちは志知が担当)、意気揚々と電車に乗り込んだのはいいが、この時はこれから先3時間、立ちっぱなしになるとは誰一人予想しなかった。3泊の予定のこの合宿に、総重量20Kg、いや30Kgはあろうかと思われる荷物を持ってきた吉田は、姫路〜岡山間、殆ど死んでいた。
 岡山の乗り換えでやっと席がキープできた。さて、弁当でも買いに行くかとキオスクに行くと、弁当がない。ちょっと離れたところに立ち食いうどん屋があって、どうもそこで売っているらしい。「もうちょっと待ったら、弁当くるけえねえ」といううどん屋のおばさんの言葉を頼りに弁当6個を注文した我々だったが、発車2分前になると、もう我慢できなくなって、うどん屋のおばさんがよそを向いた隙に逃げ出したのだった。席に戻った我々はケロリとした顔で差し入れをひたすら食いあさった。そして、食ったら寝るか、漫画を読むかするのであった。列車はいつの間にか広島県を走っていた。窓の外は雪景色。この冬初めて見る雪である。

 広島駅から3人兄弟と思しきイガグリ頭のガキ共が乗ってきた。不幸なことに僕の右隣の席は空いていた。ガキのうちの一人がその席に座った。会話もとぎれがちになり、眠気が襲ってきた。うとうとした。・・・・・重い・・・・・重い・・・・・・右腕が重い。なんで重いんじゃああ?パチッと目を開けると僕の右腕にイガグリ頭が転がっている・・・!正面を見るとおばちゃんと山本さんがケラケラ笑っている。「親子みたい」とか勝手なことを言っている。
 
 イガグリ頭もどっかで降りて、列車は山口県に入り、実家に帰省する山本さんとはここでお別れとなった。駅のホームには山本さんのお母さんが待っていらして、巻きずし、いなりずし、焼き鳥の差し入れを下さった。なんて感動的!

 そうこうして、とうとう久留米の次の荒木という駅に着いた。12時間の長旅ご苦労さんといったところで、久留米在住OB吹訳さんの登場とあいなった。

 「やっぱり僕が来ると絶対雨が降りますねえ。もう、絶対雨ですよ。やった、やったああ・・・」次の日、吉田はこう言った。天気は悪い。おまけに寒い。はるか遠くの山並みには雪が積もっているのが白く見える。場所は九州縦断道路のどこかのサービスエリアである。深夜2時すぎに福山からかけつけたOB猪俣さんのレオーネと、吹訳さんのスカイラインに分乗して、朝早く出たのはいいけれど、やはりというか何というか天気が悪いのだ。なおいっそうとんでもないことに、吹訳さんが「おばちゃん、運転せえへん?」とか言い出した。泣く子も黙るペーパードライバー・おばちゃんは、皆の制止を振り切って嬉しそうに運転席に座った。雨の高速、おばちゃんの運転、車はスカイライン、助手席は吹訳さん、後部座席には僕と吉田。車はついに動き始めた。ブウウーン・・・吹訳さんの「クラッチ!」という声に反応しておばちゃんがクラッチを踏むと、助手席の吹訳さんがすかさず変速する。おばちゃんが、「本線に入れますか?」と聞くと、吹訳さんが確認する。車線変更ができるかどうか、これまた吹訳さんが確認する。ミラーを合わせていないのに気が付くと、吹訳さんが自分に見えるよう に(!)合わせる。雨が強くなったら吹訳さんがワイパーを操作する。一体、おばちゃんは何をしたのだろう?と、今なら冷静にこういう観察もできるのだろうが、とにかくその時、僕は生命の無事だけを祈っていたのであった。吉田はというと、・・・寝ていた。信じられない!

 鹿児島の出水に着いた。はっきり言って僕は寝不足だった。出水の鳥を気合いを入れて見ようと思っていたのに、どうも頭が呆けて鳥の分布とかをはっきり思い出せない。これというのも、車の中で眠れなかったのが原因に違いない。
 鶴見亭で志知と一緒に風呂に入った。しかも女風呂に入った。(当然、中には誰もいない。)あの辺の風呂は全部五右衛門風呂なのだろうか?浴槽の底に板みたいなのが敷いてあって、その下の方から時折熱い湯が出てくる。志知が湯船につかろうとしている。「熱い、・・・うーん、熱い。中田さん、これ熱いですよ。」「どれどれ」手をつけてみると、上の方はあまり熱くない。「これくらいは入らな、あかんで」「えー、そうですか?でも、熱いけどなあ・・・」とか言って志知は湯船につかってしまった。「うーー、やっぱり熱い!水を入れよう」「こんなのぬるいやん。水入れたらあかん!」「うーーーー、熱い、熱い、熱い!」実態を知らない僕は、あやうく志知を釜ゆでにしてしまうところだった。

 さて、九州とは一体何のために行ったのだろう?・・・おー、そうだ。鳥を見るためだった。というわけで、少しは鳥のことも書かないわけには行きますまい。
 それは、出水の東干拓、通称ブタ小屋でのことだった。京大のかなり年輩の方が話しかけてきた。「あの鉄塔の上から2番目のところに、ハヤブサみたいなのがいるんですけどねえ。」”あの鉄塔”というのは、ブタ小屋から100〜200メートルは離れている。フィールドスコープで覗いてみると、確かになんかいる。その時、僕が言ったことと、京大の人が言ったこと。僕「ああ、ほんまにいますねえ。」京大の人「なんか小さいですよねえ。」僕「えっ!するとチゴハヤブサですか?」京大の人「こっち向いてくれないと分かりませんけど。」僕「あ!こっち向いた。こっち向いた。」京大の人「うーむ、頬の白い部分が大きいですねえ。」僕「あ!うんこする。うんこする。」京大の人「お尻が白いから若鳥ですねえ。」僕「あ!飛んでった。飛んでった。」京大の人「やはり、チゴハヤの若鳥ですね。」僕「おー、まだ飛んどる。飛んどる。」・・・この差は何なんだ一体!

 なんやかんや言いつつ鳥の方は結構出て、舞台は突然30日の福岡・和白に移る。どんよりと曇った空。何か侘びしい田畑。海岸で鳥を蹴散らして子供が走って行く。ハヤブサが鉄塔に止まっている。ミヤコドリはいない。さて、いよいよ九州ツアーも終わりになった。僕と吉田は新幹線で、おばちゃんは飛行機で帰ることとなった。あとの方々はもう1日、九州で粘る予定だ。
 吉田とはぐれて一人新幹線に乗って帰った。短かった1年。明後日はもう、1987年だ。
(Moctiluca 1987.1)
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