お正月のヤマセミ

 僕の帰省先の広島県呉市焼山町には、二河川(にこうがわ)という川が流れている。およそ綺麗な川とは言えず、ごくありふれた汚い狭い川である。今年のお正月休み、僕は毎朝日の出前からこの川で、他人が見るととても正常な人間とは思えないような格好で数時間を過ごすのを日課とした。とても正常とは思えないといっても、まさかこの寒いのにすっぱだかでいたわけじゃないし、女装してウロウロしていたわけでもない。では、どんな格好だったかというと、まず右肩にカメラ付きの三脚をかつぐ。首から双眼鏡をぶら下げる。(ここまではまだ正常・・・かな?)そして、左手には折り畳みイスを持って、足は股下まである緑の長靴を履いている。そして、目的地の川原に着いたら、やにわに一枚の布っきれを取り出して、それを頭からすっぽりかぶり、じっと動かない。この布っきれは一般にブラインドと呼ばれているが、とてもそんな大層な横文字で呼ぶような代物とは思えない。ただの布っきれである。
 なんでこんな妙な格好をするかというと、それにはちゃんとしたわけがある。(勿論、こんなことをわけもなくやってたら只の変人だ。)その理由はただ一つ。昔々、僕がまだ中学一年生だった頃、強烈な印象を残していった鳥、ヤマセミを撮影するためである。

 僕が彼と初めて会ったのは、中学校一年生の夏休みのことだった。朝、庭に出てボケーッと川を眺めていた時(そう、僕の家は川の土手の上にあるのです。)、一羽の白い大きな鳥が飛んでいった。白と黒のチェックの模様に見えたその鳥がなんなのか、最初は全然分からなかったが、百科事典の鳥のページを調べて、それがヤマセミだと分かるまで5分とかからなかった。「ヤマセミ、ヤマセミ、ヤマセミ・・・」何度も口のなかで繰り返したことは今でもはっきり覚えている。僕はその頃、既にカワセミの存在を知っていたから、なおのことその大きさのあまりの違いに驚かざるを得なかった。
 それから月日は流れて、次に彼と会ったのは高校生になってからだった。高校は家から通うのに1時間30分かかったから、当然朝は早起きしなければならない。しかし朝は眠い。起きたくない。まして毎朝6時くらいに起きなければならないなんて殆ど地獄のような日々だった。しかし、朝、どうにかこうにか目を覚まして、布団の中で「まだ眠い。でも起きよう。いや、しかし、あと5分。いや、・・・もうだめだ!」とかなんとか思っている時に、窓の外から「ケレッケレッケレッ、ケレケレケレ、ケン、ケン、ケン・・・」という声が響くのが聞こえてくるのだった。最初、「なんなんだ一体?」と疑問に思い、窓をガラッと開けると何もいない、とい日が続いた。そのうち、ガラッと開けた瞬間に白い鳥がヒラリと木の枝から飛び出す後ろ姿が見えた。その時、ふっと中学1年の時の記憶がよみがえった。「そうか、まだいたのか」
 ヤマセミは本当に警戒心の強い鳥だ。僕の部屋の窓からヤマセミの止まる枝まで、直線距離で30〜40メートルはあるだろう。にも関わらず、ほんの少し窓から頭を出しただけで逃げてしまうのだ。
 またまた月日は流れた。毎朝6時に起きるはずが、高校生活に慣れた頃には6時45分に起きるようになった。ヤマセミとはしばらく会えなくなった。しかし、日曜日の昼間とか、便所の窓からヤマセミの姿を見ることが何度かあった。
 いつの間にか僕は大学生になって鳥屋になってしまった。好きだった写真と鳥はすぐに結びついた。そして、望遠レンズを振り回して鳥を撮る日々が続いた。

 1986年お正月、僕は中学1年の時からの友人を撮ろうと決心した。こうして、冒頭に書いたような奇妙ないでたちで毎朝川原に下りて、日の出前から彼の出現を待つことになった。
 一応、2〜3日前からヤマセミのやってくる時間の大体の目安はつけておいたから、川原に下りて寒い中待つ時間は最低限で済んだ。しかし、最低限で済んだからといって寒いのには違いない。お正月の早朝、じっと外で立ってると寒いことくらい誰だって分かるだろう。手にハアハアと息をかけながら、静かに彼のやってくるのを待つ。夜がしらじらと開け始め、一番冷え込みが厳しくなるその時、ヤマセミは川上から一直線に飛んできた。「ケレッケレッケレッ、ケレケレケレ、ケン、ケン、ケン・・・」はっきり言って信じられなかった。ヤマセミは夫婦でやってきたのだ。雄の方は自分のすぐ目の前の枝に止まっている。カメラのレンズの距離目盛りは8メートルをさしている。今までその姿をまともに見ることさえできなかったのに・・・。僕はあらためてこの妙な布っきれ、いや、ブラインド様に感謝するのだった。
 しかし、結局その日の撮影は失敗に終わった。理由はいくつかあった。一つは、まだ夜が明けておらず、写真を撮るには暗すぎたこと。もう一つは、寒くて吐く息でファインダーのガラスがすぐに曇ってしまい、ピントもろくに合わせられなかったことだった。ヤマセミが自分の頭より大きな魚をダイビングキャッチするところを見ることができたのは、その日の大きな収穫だった。
 次の日、今度はカメラにストロボをセットすることにした。単に暗いからというだけではなく、その短い閃光時間を利用して、うまくいけばヤマセミのダイビングキャッチの決定的瞬間を撮ってやろうと思ったのだ。その日もヤマセミ夫婦はやってきた。夫婦は交互にダイビングを繰り返した。最初、その豪快な水しぶきに我を忘れて見入っていたが、「撮らなければ」と思い、カメラを構えた。吐く息でファインダーが曇らないよう、口をねじ曲げて息をした。(なんて妙な行動!人にはとても見せられない。)ヤマセミの雌が飛び込んだ!「今だ!」ボチャンと飛び込んでできた波紋の中心にピントを合わせた。すると、ヤマセミが魚を嘴にくわえて出てきてくれ・・・たらよかったのに、彼女は狩りに失敗してしまった。まるで、海面から海坊主が出てくるような写真しか撮れなかった。
 結局、もう二度とチャンスは無かった。

 あれからもう一年が経過した。今年はもうヤマセミを撮ることも無いかも知れない。勿論、僕は撮りたいのだが、ヤマセミの止まる枝がもう無いのだ。河川の護岸工事というやつはヤマセミのことなど考えることなく行われてしまう。
 朝食のテーブルを失ったヤマセミは代わりのテーブルを見つけることができたのだろうかと、ちょっと心配になったりする。
(Moctiluca 1986.12)
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