167「美しきサムライ」



進藤政次(1564―1612)

三左衛門。生国伊勢。もとは乙部氏(一説に近藤)を姓とし、父源次郎が信長に対し、違命のことがあり、織田信包の命で進藤に改姓したという。母は織田信長の叔母。宇喜多秀家家臣として、知行六百石。慶長五年(一六〇〇)、関ヶ原の合戦に参加。敗北後、主君秀家の逃走を助け、大坂城において徳川家康に秀家自害の虚偽の報告をしたとされる。戦後、御家人として召抱えられた。

◆敗将をかばう忠義の家臣。聞こえはいいし、判官贔屓の傾向がある日本人の心の琴線にふれる主題であろう。山中鹿介、島津豊久、毛受勝介等々、時代をひろげてなお博捜すれば十指に余ろう。

◆だが、これらは美しい主従愛をわれわれに教えてくれるけれども、そこになかなか実感は伴わないであろう。勝者の側から見れば、彼らは政治犯であり、抵抗勢力であり、反乱分子である。近頃は「敗者の歴史」「為政者に消された史観」を標榜する向きが多いが、テレビで政治家や企業の不祥事を視聴するわれわれは、とても敗者の側に立っているとは主張できまい。謝罪する人々を見ても、特別な事情通ででもないかぎり、「誰かを庇っているのではないか」「巨悪は今度も逃れてしまうのか」と憤りを覚える方は多いのではないだろうか。

◆メディアで謝罪する人々は、言ってみれば、主君を逃がす忠義の家臣である。この忠義は彼らにとってだけのもので、決して普遍化し得るものではない。所詮、正義も忠義も、つまるところは自己都合なのではないか。権力者がしばしば「忠義の者なり」とか言って許すのは、自分にもそういう「身代わり」を用意されているからであろう。上司を庇う部下よりも、部下を庇う上司の図のほうが本来あるべき姿なのではないだろうか。

◆関ヶ原の合戦における西軍中、もっとも身分の高い人は宇喜多秀家であった。首謀者は石田三成であったろうが、東軍にとっての「大将首」は秀家だったのではあるまいか。その秀家は敗北決定となると、戦線離脱。いずかたとも知れず消息をたつ。

◆決戦から一ヶ月以上も過ぎた、十月末。伏見の本多正純のもとへ「諸方へお尋ね中の備前中納言様について、消息を存じております」と出頭した男があった。宇喜多家の家臣進藤正次であった。

正次「石田・小西以下捕われ、逃れがたく思い、人里離れた山中にて御自害遊ばされました。われら御遺骸を荼毘にふし、朋輩黒田勘十郎が骨を抱いて高野山へ入り申した。この鳥飼国次の脇差が証拠でござります」

取り出した鳥飼国次脇差は宇喜多家重代のもの。政次は同時に秀家の妻子の助命を願い出た。この話は家康の耳にも達し、「進藤は忠義の者じゃ。正純にその身柄を預ける」と命じた。

◆ところが、秀家は薩摩に潜伏していた。俗書によれば琉球征伐を計画したが暴風雨で船が難破し果たせなかったという話も残る。が、島津氏が徳川家康と和睦するに及んで、秀家を匿いきれなくなり、その身柄は上方へ護送されることになった。家康は御家人となっていた進藤正次を呼び出し、ニヤニヤ笑いながら言った、

家康「秀家が北国で生害したというのは偽りであったな」
正次「かくなる上は、この罪遁れがたし。早々に首をはねられよ」

だが、家康は冒頭に述べたように、忠義の者として政次を許すのである。これらは軍記ものが記すところである。

◆戦後、政次が語った話を板坂卜斎が記録した内容のほうがはるかに真実味がある。近江山中に秀家を匿った政次は、単身大坂に潜行する。宇喜多邸で首尾よく豪姫に面会し、秀家の書状を見せ、二十五枚の黄金を受領する。立ち戻った政次は薩摩へ秀家を落とすべく船を調達し、残った二枚を秀家に持たせた。「うまれつきの大名なので黄金がどれほどの価値を有するものか知らない」と政次は秀家を評している。秀家を見送った後、政次は本多正純のもとへ出頭し、助命を嘆願したというのが本当らしい。家康も、秀家が薩摩へ落ちたということを知ったからこそ、後に秀家の一命も助けたのであろう。

◆作家中山義秀は、進藤正次を「日本の美しき侍」と呼ぶ。だが、それは無害な過去の歴史上においてこそ言いうる言葉であって、いわんや現代において義秀が言う意味での「美しき侍」は登場することはないのである。実際、進藤政次が示した忠義とは、秀家の消息を偽り、徳川方の探索を攪乱するのではなく、ありのままの事情を述べて「助命」の交渉をすることだったのである。

◆江戸時代になって、進藤家では、便船があるごとに八丈島の秀家のもとへ米塩を仕送りしていたという。前田家の秀家援助はよく知られているが、これは親戚であるので事情は異なる。宇喜多旧臣の中には他家に仕官したり、大名になった者もあった。彼らの中でも秀家に仕送りする者は多かったようである。それは、ついに逃げとおすことができなかった主君への「申し訳ない・・・」という思いから出た行為ではなかったか。




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