142「アースクエイク1596」



加々爪政尚(1562―1596)

甚十郎、隼人正、従五位下備前守。徳川家康の家臣。長久手の合戦、小田原攻め、九戸政実の乱鎮圧に従軍。文禄元年(一五九二)、相模高座郡三千石を知行す。文禄五年(一五九六)、閏七月十二日、大地震により伏見で圧死。法名宗渓。

◆戦国Xファイルの時間ですが、ただいま京都からの早馬が地震のニュースを伝えてまいりました。文禄五年(一五九六)、閏七月十二日未明、伏見鳥羽を震源とする大規模な地震がありました。地震の規模を示すマグニチュードは7から8、震度6から地域によっては7との報告があります。

◆今回の地震は神戸市北区から京都府大山崎町を走る有馬−高槻構造線と呼ばれる活断層が動いて引き起こしたと専門家が意見を述べています。この地震で伏見城の天守閣が崩壊し、大名屋敷や町屋を中心に被害が広がっています。大仏殿も倒壊したとのことです。では現地からレポートです。

義演「こちら伏見です。時折、余震が襲ってきます。各所で液状化現象も見られ、交通が寸断されています。いつまた家屋が倒壊するとも限らず、人々は皆、屋外へ出て夜は道路に寝転がっている光景が見られます。宮中では主上(後陽成天皇)も庭にお出ましになり、仮屋を構えてその中で不安な一夜を過ごされています」(テントの中で不安な一夜を過ごされている天皇ご一家と女房たちの映像)

◆醍醐寺座主義演さんの報告でした。さて、スタジオには日記をかかさずつけておられます松平家忠さんに起こしいただいております。家忠さん、本日は大切な日記をつける時間を割いてお越しいただきありがとうございます。

家忠「いやいや、地震のことならば孫がかわりに書いてくれることになっておる(*註)ので心配はいらん。それより秀吉は死んでないのか?(ピー)」

スタッフ(今の後半、カットね)
筆者註:『家忠日記増補追加』は家忠の没後、孫の忠冬が諸史料を参照して筆記したもの。忠冬筆記部分に伏見大地震の記事があり、「太閤秀吉此殿中に有といえども、此難を避れ恙なし」「大神君御館門樓破倒して御家人加々爪隼人死す云々」などと書かれている。

◆さっそくですが、家忠さん。今年に入って浅間山の噴火、豊後国の地震、津波、京都では白い砂が降り、彗星が出現。そして今度の大地震と災害が頻発しています。現在、ご主君も上洛中とのこと。ご心配のことと思います。

家忠「いやあ、三河武士に地震で怖気づくような屁っぴり腰はひとりもおらん。地震よりも三方ヶ原の武田勢のほうがよっぽど怖い。じゃが、殿様は小心者だからまた脱糞しておるやもしれぬな」

スタッフ(OK、スレスレ)

家忠「何だ、あやつは。さっきからアウトだの、セーフだの、鬱陶しい!」

◆ただいま、死亡された方の中に徳川家中の方が含まれていることが判明いたしました。山科言経さんの報告によれば、亡くなった方は相模国高座郡にお住まいの加々爪隼人正さんです。加々爪さんは家康公の上洛に従って今度の災難に遭われたとのことです。家忠さん、亡くなった加々爪さんとはどのような方だったのでしょうか?

家忠「なんと。加々爪隼人が死んだか。わしよりも若いのにのう。先祖は上杉の一族での、御家中となる前は今川氏に仕えておった。彼は幼年より殿様(家康のこと)に近侍し、長久手の合戦や小田原攻めにも従軍した。九戸の乱鎮圧のため岩手沢まで行ったそうだ。もちろん肥前名護屋にも従った。ほんのちょっと前に備前守に任官したばかりだというのに・・・・・・」

◆山科言経さんと電話が繋がっています。山科さん? 加々爪隼人さんが亡くなられた状況についてお願いいたします。

山科「山科です。地震があったのは子の刻でした。近代これほどの地震はなかったと土地の古老も話してくれました。からだに感じる余震はまだ続いています。この地震によって伏見城をはじめ大名屋敷のほとんどが倒壊いたしました。江戸内府の屋敷でも被害が出て、加々爪隼人さんが崩れてきた旅館の門の下敷きになって死亡いたしました。家中に死者は他にない模様ですが、雑人六十七名が亡くなったということです」

◆現地ではまだ余震が続いているようです。本日は予定を変更して伏見大地震のニュースをお送りいたしました。最後に家忠さん、一言お願いいたします。

家忠「近い将来、伏見城はわしが預ることになっておるので、頑丈に造り直して欲しいぞ」

◆伏見大地震の被害は畿内全域に及び、死者四万余と伝えられている。地震で圧死した武将には、加々爪政尚のほかに越中大地震で死亡した前田秀継がいる。しかし、加々爪家の場合はさらに不幸は続いた。ちなみに政尚の子忠澄は、後年、火災に巻き込まれて死亡している。また、彼の子、つまり政尚の孫にあたる直澄は不敬罪で閉門をくらい、後には土佐に配流となっている。さしずめ親父(幕府?)に怒られたといったところか。

◆三代続いて討死したなどという一族については、わりと目にするが、地震に火事というのも珍しい。伏見大地震の余震が、この一族にとってはまだ続いていたということであろうか。




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