100「メンソーレー!守礼之邦」



尚永(1559―1588)

阿応理屋恵王子。琉球第二尚氏・第六代の王。第五代の王尚元の第二子。天正元年(一五七三)、即位。天正三年、島津義久から印判状のない貿易船受入れなどをめぐって詰問された。天正七年、明から柵封を受ける一方、島津氏の三国制圧を祝して紋船を派遣するなど琉球の自立に苦慮した。天正十六年、死去。神号英祖仁耶添按司添。

◆日銀が五億枚も抱えて「ちっとも流通しないよー」と困っているという二千円札。特に積極的にGETに動かなかった筆者のところへは昨年(西暦二〇〇〇年)たった二枚が廻って来ただけである。オブチくんもしょうもないおみやげを遺してくれたものである。

◆その二千円札の図柄についてだが、ニュースなどでは沖縄サミットにジョイントして守礼門の紹介と、裏の源氏物語絵巻についてふれられることが多かったように思う。とくにチャチな源氏物語絵巻のワンシーンに「鈴虫」の本文を添えているのが人々の関心を集めたようで、「あれは何て書いてあるのか」と『源氏物語』など読んでもいない人も知りたがった。さっそくお札に印刷された部分に相当する「鈴虫」の一節を紹介したサイトもいくつかあったようだ。もっとも二千円札の図柄のほうは下部が欠けているので、これだけでは完全に意味が通るようには読めないだろう。

◆ところで、本コーナーで注目したいのは実は表側。守礼門のほうだ。もちろん、現在の守礼門は戦後、復元されたものだし、江戸時代を通じて何度も新しいものに取り替えられてきた扁額もそうである。そこに掲げられている扁額を見て欲しい。実際に沖縄で御覧になった方には自明のことだろうが、右から「守禮之邦」と書かれているのがおわかりだろうか。「守禮之門」ではないところがミソである。

◆礼を守る邦、琉球。「礼」とは儒教の中でも重要な教えのひとつである。その国ぶりが日本というよりは多分に大陸的な志向を持っていたようにこの「守禮之邦」の扁額からも想像できる。いくら鎮西八郎為朝が琉球尚氏の先祖だ(これは第一尚氏のほうなんだけど)といったところで、あまりにも異質すぎて納得できないのである。「守禮之邦」は日本ではなく明に対する忠誠心のあらわれであるからだ。こうして見ると、日本の紙幣に守礼門が採用されたことに疑問も生じてこよう。

◆この「守禮之邦」の扁額はいったいいつ誰によって掲げられたのか。「そんなの門ができたときに決まっているだろう」と言ってしまえば身もふたもない。門ができたのは天文三年(一五三四)以降といわれる。これは中国側の記録に出てこないことが根拠となっている。扁額がはじめて(?)掲げられたのは、天正七年(一五七九)、第二尚氏・第六代の王である尚永王の手によるとされている。

◆この王様は在位十六年にも及んだが、その生涯はたったの二十九年。扁額を掲げたほかは目立った業績もない。あとは「島津の印判を持たない貿易船と交易した」とか「島津の使者のもてなし方が悪かった」と難癖つけられただけの人生だった。むしろ、その甥で江戸幕府と薩摩藩に屈して従属を強いられた尚寧王のほうがいくぶん有名だろう。

◆慶長十四年(一六〇九)、江戸幕藩体制に組み入れられる以前の琉球を「古琉球」と呼ぶ。古琉球は明、島津、豊臣氏、徳川氏からそれぞれ従属を強いられた。「守禮之邦」の扁額は逆に琉球人の内に押し隠した恨み節に聞こえるのだ。特に島津、豊臣、徳川氏にボコボコにされた尚永王・尚寧王の代にこの扁額が掲げられたことは特筆されていいと思う。「日本がこれ以上冷たい仕打ちをするのだったら、沖縄は独立する」という言葉も決して大げさには思えない。現に「守禮之邦」という文字によって琉球は独立国であることを謳っているではないか。「はい、周辺の国からどんなに苛められようと、琉球は礼を守る邦なんです」

◆ここまではいい。だが、この「守禮之邦」という扁額は当初、明の使者が訪れた時だけ掲げられ、平時は単に「首里」という扁額が掲げられていたという話もある。明からの書簡に「琉球はまっこと守礼之邦じゃあ」という内容があったためだが、面従腹背というか、事なかれ主義といおうか、こういうところは非常に日本的だ。しかし、よく言えばこれもりっぱな危機管理のような気がする。その頃、日本国内では戦国大名のもと、あちこちの主人に知行を安堵してもらいながら生き延びようとするしぶとい国人衆たちがいた。そんな気風が海を渡っていくぶんかは入って来ていたかもしれない。

◆二千円札の図柄に沖縄のシンボルが採用されたことに、「中央もようやく周辺に目を向けるようになってきたか」と感慨にふけった人も多かったのではないだろうか。が、そういう人は「守禮之邦」の意味の何たるかを知ったら仰天することだろう。二千円札がちっとも流通しない理由は、印刷してから「守禮之邦」の意味に気づいた政府が流通を差しとめているのでは、と勘繰りたくもなってくる。

◆戦国Xファイルも今回で百回を迎えた。当初、百回という節目を飾るに相応しい人物は、と考えながらも、絞りきることができず、かえって目新しい人物のほうがいいのでは、という気がした。話題も今日的なものを選びたかったせいもある。将来、日本という国が立ち行かなくなった時、真っ先に独立して自活の途を探るのは沖縄県であろうと思っている。それだけの団結力と潜在能力をこの土地と住民は持っている。二十一世紀の沖縄に幸あらんことを。




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