095「となりのキタジョウさん」



北条高広(?―?)

弥五郎、丹後守、安芸守、入道芳林。越後毛利氏の一族。上杉謙信に仕えたが、同族の安田毛利氏との確執などがからみ、天文二十三年(一五五四)、反抗。のち許されて、謙信の関東進攻に従う。永禄五年(一五六二)、厩橋城代となり、管領方の勢力伸張に腐心するが、次第に在地領主化し、小田原北条氏に与するなど去就が定まらなかった。謙信没後、北条氏、武田氏、滝川氏などに属し、独自の勢力圏を保った。晩年は大胡城へ隠退。天正十五年(一五八七)から十六年の間に同地で没したと考えられる。

◆換気もろくに効かない蒸し暑い部屋で、相州小田原に居をかまえる北条一家の大幹部たちが風采のあがらないその男の周囲を取り囲んでいた。机に座らされた男の顔面には取調室よろしく強い照明があてられ、その人の好さそうな田舎者の表情にジリジリと焦燥を焼きつけていた。その頭上を、北条一家のドン・氏政の愛用する臭いの強い葉巻の煙が澱んだ空気の中で滞留し続けていた。

氏照「困るんだよなあ、おっさん。うちらのシマで北条の名を勝手に出してもらっちゃあ・・・・・・」
高広「でも、わたしはキタジョウですから」
氏照「ホウジョウもキタジョウも同じだって言ってんだよ。北条って手紙に書いてありゃ、受け取った側はホウジョウだかキタジョウだか区別つかねえだろうが。ア!?」
氏邦「無断で北条の名前を使用して赤城山神社に守護不入の判物配られては、われわれとしても困るんですよ」
高広「そんな。おたくらは平氏でしょ。わたしは大江氏です。全然別物ですよ」
氏邦「それはそうですが、登録商標の問題もありますし、お互い紛らわしいとは思いませんか? 少なくともわれわれはあなたの行為によって不利益をこうむっている」
高広「でも、たまたま同じ字なんだから仕方ありません。おたくらこそ、もとの伊勢に戻せばいいじゃありませんか」
氏照「なんじゃと。また他国の凶徒呼ばわりするんか!?」

(筆者註:早雲・氏綱の時代は関東諸侍から「他国の凶徒」と蔑まれていた。氏綱が鎌倉執権北条氏の名を称するようになった理由のひとつもこうした排撃の対抗策と言われる)

氏政「まあ待て、氏照。じっちゃんの時代とは違うんだぞ。キタジョウさんも越後を見限ってわれらに好誼を通じてきたんだ。手荒なまねはしたくねえ。キタジョウさん、赤城山の神主に判物渡したのは今回にかぎって大目に見るとして、ひとつあんたも歩み寄ってもらえんだろうか?」
高広「と、言いますと?」
氏政「字を変えてもらえんだろうか。どうだろう、キタジョウさん」
高広「字を?」

氏政、もったいつけて時間をかけて葉巻を吸ってから、煙を天井に向かって吐く。

氏政「そう。北の字をやめて、そうだな、喜多と書いたらいい」
氏照「あっはっは。そりゃあ、いい。弥次さん喜多さんの喜多さんじゃあ」
氏邦「氏照兄さん、時代が違うんじゃ・・・・・・」

◆こうして、北条高広は無理やり「喜多条高広」にされてしまった。

高広「ひどい。田舎者だと思ってばかにして・・・・・・。喜多条なんて、字面からしてパチモンだよ。けれど本姓のほうの毛利は毛利で安田ンとこといっしょにされるようでいやなんだよなあ」

(筆者註:越後毛利氏の流れは大きく北条系と安田系にわかれる。両者は犬猿の仲)

◆もちろん当人はそんな名前は使わない。鎌倉幕府創業の功労者である大江広元以来のプライドってものがある。毛利と書いてくれるのならば許せる。ところが上州のこれも古株領主である由良氏は遠慮がない。さっそく書状中に「喜多条」を連発。小田原北条氏もこれに応じた。事実、厩橋城代の北条高広が上杉謙信に叛いて小田原方となっていた一時期、本人の発給文書は「毛利」。それ以外は「喜多条」が断然多くなったのである。本人にしてみれば、田畠荒らしや乱妨よりも名前攻撃のほうがずっとこたえている様子。越後のみんな特に安田に知られたら、いい笑いものだ。

高広「チクショー。後世に喜多条で伝わっちゃったらどうしてくれる。まがいものになるくらいだったら、い、いっそのこと、お、大江朝臣ってかましてやろか・・・・・・っていうほどの勇気もないしな。ハア。越後に帰って鯖石川でのんびり釣りでもしたい」

◆その間にも関東の情勢は変転、三国同盟を破って駿河に侵攻した武田信玄に対し、今川氏真を助けて北条氏康・氏政は絶交宣言。武田の横暴をなんとかして欲しいと上杉謙信に泣きついた。

氏政「謙信はなかなかがめつい奴じゃ。同盟の条件として永禄四年の時点で上杉方だった城をぜんぶ返せと言ってきよった」
氏照「政兄ィ。まさか応じる気じゃないだろ!?」
氏政「城も土地も渡す気はないが、あの厩橋のキタジョウはこの際、ひきとってもらお。どうもわしらのシマのど真ん中にポツンとおって落ち着かん。こっちの目を盗んでコソコソ動きまわってるようだし・・・・・・」

◆こうして、北条高広はのしをつけて上杉方に送り返されたのである。だが、越後へやって来たのは「のし」だけだった。北条高広自身はその後も小田原北条氏の隣人であり続けたのである。

氏照「あのじいさん、何で越後に戻らんのじゃろ。小田原へ攻めてくることもしないし、ただあそこに居るだけじゃ」
氏政「城代でも何でもなくて、もしかして捨てられているんじゃなかろうか?」
氏邦「姥捨て山ですか、厩橋城は」
氏照「なんか、攻める気なくしたな」




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