088「乱世に女子は不要なり」



富川定安室(1511―1603)

長船綱直の娘で富川定安の母ともいわれるが年代的に疑問がある。名は一説に角屋。宇喜多能家に寵愛され、のちその命によって家臣富川(戸川)定安に嫁し、一男一女をもうける。のち宇喜多興家に仕え、その三男忠家の乳母となり、権勢をふるった。

◆先のオリンピックでもメダル獲得数十八個のうち十五個が女性によるものだった。しかもソフトボールやシンクロナイズドスイミングなどの団体も含めれば単に個数だけを数えれば、その差はますます隔絶する。そんな時代にこのタイトルは「なんじゃらほい!」と言われそうだ。だが、このセリフは女性が吐いたものなのだ。

◆備前宇喜多家の当主能家は家臣長船氏の娘角屋を寵愛していたが、ある日、これまたお気に入りの家臣富川助之丞正実(のちの戸川定安)に下げ渡してしまった。主従には時たま見られる現象なのだが、同じ女性と通じることで男同士の絆、義兄弟の仲をもとうということなのか。だが、この時、角屋はすでに妊娠していた、と聞けば「ははーん、よくある話しだ」ということになるかもしれない。下げ渡しというよりは厄介払いに近い。

◆角屋をプレゼントする際、宇喜多能家はある条件をつけた。

能家「よいか、角屋が男子を産めば、そちの家の跡取りとなせ」

つまりは、角屋が生んだ子が男子ならば、重臣富川家の血も宇喜多の血筋になる。能家にとっては「二度おいしい」話なのだ。

◆富川正実も美人の角屋を貰って大喜び。

正実「ぼくは助之丞だから助さん。きみは角さん」

たとえエッチができなくてもだんだん妻が「富川家安泰」のありがたい御朱印に見えてくる。さらに副賞としてもらった粟田口定安の名刀にちなんで、自ら名を富川玄蕃頭定安とあらためた。しかし、さすがに助之丞に角屋姫とはどうも話がウソっぽく思えてくる。

◆月満ちて、角屋は男子を産んだ。のちの戸川秀安である。時に天文二年(一五三三)のことである。さらに定安は続いて角屋との間に念願の子を授かった。こちらは女の子だった。もしもこちらも男子ならば、血で血を洗うお家騒動などに発展しかねないが、まさに理想の家族。

◆ところが、この幸せは当の角屋によってぶち壊される。定安の没後、宇喜多能家の胤である秀安を実家の姉に預けると、夫との間にもうけた女の子を「戦国乱世に女子は不要」と叫んで池に投げ入れてしまったのだ。

◆この間、角屋の昔の恋人・宇喜多能家は赤松・浦上の抗争に巻き込まれる形で自害を遂げていた。その子興家は息子をともなって備後国へ亡命。角屋はこのあと、昔の恋人の息子のもとへ走る。興家はちゃっかり亡命先でふたりの息子をもうけていたため、この乳母を買って出たのだ。

◆息子同様、預けりゃいいものを、何で女の子のほうだけを投げ殺してしまったのか、理由は判然としない。もっともこのようなことが史実であったかどうかもわからないのだが、その後の彼女の行動を追うと、やはり宇喜多一族第一を思っていたらしい。角屋は宇喜多忠家(直家の弟、坂崎出羽守の父)の乳母として宇喜多家中に重きをなし、預けておいた息子富川秀安(のち戸川に改姓)も成長後に出仕させている。前述のように秀安は宇喜多能家の息子ということになっている。

◆しかし、母に捨てられた秀安のほうは胸中複雑であったのではないか。彼の怨念は母の実家長船一族に向けられつつあった。そしてその子達安の代になって、いわゆる宇喜多騒動によって長船氏は失脚している。俗説だが、戸川達安が長船紀伊守を毒殺したという話もある。はっきりした根拠はないが、戸川達安が宇喜多能家の孫であったとすれば、その血筋を守りたいために家中の最大勢力・長船氏の専横を許せなかったという見方もできる。

◆角屋は子の秀安が文禄元年(一五九二)に没した後もさらに生きた。孫の達安は宇喜多騒動をおこして放逐され、さらに関ヶ原の合戦で徳川方について陪臣の身からついに備中庭瀬を領する大名となった。孫の躍進と宇喜多家の没落を目の当たりにして慶長八年(一六〇三)に没したという。九十三歳の長寿であった。




XFILE・MENU