083「二日酔いの尻拭い」



諏訪部定勝(1536―1588)

主水、遠江守。小田原北条氏の家臣。出羽守定久の子。北条氏邦に属し、日尾城主をつとめる。永禄十二年(一五六九)、武田勢が小田原を攻めると後方を攪乱し、北条氏より賞される。法名念叟。室は妙喜尼。

◆二日酔いで頭がガンガン割れそう。仕事にいかなくちゃと思いつつも、身体が言うことをきかない朝。今日一日だけでいいから自分の身代わりが一人いてかわりに出勤してくれたら、と思ったことはないだろうか。

◆昔、「もう酒やめたー」という製薬会社のCMがあった。あの心情は多くの人が一瞬抱くものだと思うが、夜になるか、遅くとも次の日にはもう忘れてしまうというのも真実だろう。むろん、一滴も飲まないというのではなく、深酒はやめようという意味合いなのだが。

◆説話や軍記モノにはしばしば酒で失敗する話が出てくる。『三国志演義』の張飛もたびたび酒で失態を演じている。悪酔いするのである。あるいはヤマタノオロチや酒顛童子のように酒を飲まされて殺される敵役もいる。彼らはおそらくはバケモノなどではなく中央にまつろわぬ土地の支配者だったのであろう。戦国時代においてもいわゆる下戸の毛利元就などは酒の害悪を書状に書き記している。彼は父と兄を「酒害」で亡くしている。

◆だが、世の中にはこんな幸せなアル中もいる。

◆諏訪部定勝は剛毅果断の部将として北条氏邦率いる秩父衆の重鎮だった。武田信玄が小田原へ攻め込んだ際も野伏せりを集めて攪乱するなどの功をたてて北条氏邦から賞賛されている。関連する書状がいくつか残っている。

◆彼の弱点といえば、酒好きなこと。その飲みっぷりは戦場働き同様豪快だが、酔うと寝てしまうタイプ。ヤマタノオロチや酒顛童子と同じである。きっとかき集めた野武士たちに酒をふるまっているうちにドンチャン騒ぎが毎度恒例になっていたのではあるまいか。

◆寝てしまう酒は、現代だったら「しようがないな」の一言で片づけられてしまうほど。人格が豹変(本人の自覚なし)したり、暴力をふるったりするのにくらべれば・・・と介抱する人から受ける顰蹙もやや軽いほう。しかし、武人にとっては「悪い酒」ということになろう。

◆案の定、諏訪部定勝が大いびきをかいて前後不覚の状態にあった、まさにその時。定勝の居城日尾城へ敵勢が寄せてきた。

妻「あなた、敵ですよ」
夫「うーん、敵ィ・・・う〜頭いて」

と、ゆりおこす夫人も諏訪部定勝の言動もまるっきり緊張感が欠けている。「しようがありませんね」と夫人は侍女に何やら仕度を命じた。毎度のことなのであまり動じていない。

◆そうなのだ。諏訪部家では主人定勝がへべれけになった時、夫人が甲冑をつけて出陣するのだった。

「具足をもてッ、貝ふけッ、湯づけじゃー!」

定勝夫人を先頭に薙刀を横たえ武装した侍女たちが続く。夫人の指揮の下、日尾城の将士たちが押し寄せる敵勢を蹴散らす。そうこうしているうちに青い顔をした諏訪部定勝が「もう酒やめた〜」と吐き気をこらえて馬上姿を見せ、敵にゲロじゃなかった、痛打を浴びせた。このようなことが二度三度ではなかったという。

◆また、諏訪部定勝が素面でおっても同じことだった。小田原の北条氏のもとへご機嫌うかがいに出かけて留守の時でも、夫人がかわって出撃する。それがまたなかなか強い。敵はつけ入る隙を見出せず、そのため定勝は安心して城をあけることができた。

◆男性は、結婚後、とくに専業主婦をしている奥さんに向かって決して言ってはならない一言がある。「誰のおかげで食っていると思っているんだ」である。もっとも自分は遊んでいて奥さんに食べさせてもらっているのなら別だ。「誰のおかげで食べていけると思っているのよ」と突っ込まれるだけの話である。

◆諏訪部定勝のように酔いつぶれている間、戦ってくれる(出勤してくれる)妻をもつ者も稀有と言える。が、留守中に城(家)を守ってくれる妻の存在は戦国時代も現代もそう変わらないのである。
しかしながら、布団の中から「二日酔いの自分のかわりに会社へ行ってくれ〜」と頼んだところで、家をかわりばんこに守るのならばいざ知らず、「会社勤めはあんたの仕事でしょ」と腹を踏んづけられて汚物を撒き散らす仕儀になるのがオチであろう。ヤマタノオロチと同じ運命である。諏訪部定勝は決して奥方に「おれは酔っぱらっているから代りに出陣してくれ」と頼んではいないのだ。

◆諏訪部定勝夫妻が小田原合戦まで健在であったならば、どのような戦いぶりを演じたか想像すると面白いかもしれない。が、惜しいことに諏訪部定勝は豊臣秀吉の小田原攻めの二年前に死んだ。夫が亡くなった後、夫人は落飾して妙喜院となってその菩提を弔ったという。




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