076「SAGAWARS/episodeTファントム・オブ・テディベア」



鍋島清久(?―?)


平右衛門尉、茂尚。肥後龍造寺氏の家臣。佐賀藩祖直茂の祖父にあたる。はじめ佐嘉郡本庄の郷士であったが、亨禄三年(1530)、龍造寺家兼が田手畷において山口の大内義隆と合戦するにあたって、嫡男清房とともにこれを助けて被官となる。この戦闘で戦功をあげ、褒賞として清房は龍造寺家の姫を室として迎え、一族に連なった。


◆唐突だが、古代中国の話からはじめる。

◆秦帝国を樹立しファースト・エンペラーとして君臨した始皇帝の何代か前に穆公という人があった。この人は英明な武人で義侠にも富んでいた。隣国の晋が飢饉に見舞われた時、持ち前の義侠心から食糧を援助した。その後、今度は秦領内が飢饉に見舞われた。穆公は晋王に援助を頼んだが、逆に晋王は危機につけこんで大軍をもって国境へ攻めこんできた。穆公は晋の不義理を憤り、劣勢を知りつつ軍をすすめた。しかし、大軍の晋に包囲されてしまい、あわや虜囚の身になろうとした時、奇怪な刺青や仮面で武装した集団が忽然とあらわれ、穆公を守りとおした。この隙に秦の別働隊が晋軍を撃破することに成功したのである。この武装集団は、かつて穆公の馬とは知らずに食べてしまった野人たちであった。彼らは死刑に処されるところを穆公によって救われ、そのピンチの時にかけつけてきたのである。彼らが報奨金をもらった記録はない。おそらく「敵の馬を食べてもいいか」とでも言ったものか。

◆危急の時に突如出現する「天兵」伝説は中国の長い歴史の中にも散見できる。今回は「本朝天兵伝説」とでもいうべき話だ。

◆今回、日本の穆公にあたる人は肥前の大名龍造寺家兼である。御年七十七歳の元気なおじいちゃんである。不義理の晋王を演じるのは典拠によって大内氏であったり大友氏であったりする。双方とも龍造寺氏が戦った相手でもあるが、真偽はともかく本稿では大内氏としておく。

◆亨禄三年(1530)、大内義隆の将で筑前守護代をつとめる杉興運は、少弐冬尚・龍造寺家兼連合軍に対して兵をおこした。少弐氏はその名のとおり太宰少弐をつとめる名族であったが、密貿易でもうけた莫大な資金を使った猟官運動を展開する大内義隆が「太宰大弐」を手に入れたことで一気に劣勢に追いこまれた。少弐冬尚は息子の松法師丸の保護を龍造寺家兼に委託したのであった。

◆もともと少弐氏の庶流ともいわれる鍋島一族は、佐嘉郡のちっぽけな田畑を守って郷士生活を送っていた。そこへ大内義隆の来寇である。領主の龍造寺家兼は敗れて国境から退きつつあるという。食後のお茶をプハーと喫し終わった鍋島家の当主平右衛門尉清久は、息子の清房を呼んだ。

清久「いよいよわれらが出番がまいったぞ。ぬかりはないか?」
清房「父上。アレを使うのでございますね。ワクワク」

◆一方、こちらは戦線縮小を図る龍造寺家兼の本営。ここも大内軍の破竹の進撃によって危うくなり、主従ともに浮き足立っている。しかし、ここを引き払えば、本拠地まで攻めこまれかねない。決断を下せず呻吟する家兼に「敵勢見ゆ」との急報が届く。

家兼「やむを得ぬ。わしはここでいさぎよく死ぬるぞ」
家臣「アッ、あれはなんだ!」

一同が目を向けたその方向から砂塵を巻き起こしながら突進してくる騎兵の一団があった。すわ、敵の別働隊かと恐怖にかられる龍造寺本営の横を怒涛のごとく通過していく。その馬上にある者たちは甲冑の上に赤幌をかけている。首領格とおぼしき数人は黒ずくめの武装に漆黒の面をかぶっていて素顔はわからない。仮面の口は耳まで裂け、目をむいた鬼の面である。頭髪は赤熊(シャグマ)の毛を長くたらしている。

家兼「シャグマ一揆か」

シャグマの装いをするからには領内の者たちであるに違いない。しかし、いつも敵対している一揆の者たちが領主の援軍にかけつけるとは。しかし、現実にシャグマの一団は奇声をあげながら大内軍に突撃、粉砕しつつある。敵の馬は熊の毛や鬼の面を見てたちまちパニックにかられ乗り手を振り落として逃げ惑う。これぞ「砂漠の嵐(デザートストーム)作戦」ならぬ「熊嵐(テディベア・ストーム)作戦」である。

家兼「よーし、われらもシャグマに遅れをとるな」

この機を逃さず、家兼は全軍に突撃を命じた。形勢はここに大逆転。かくして田手畷の合戦は龍造寺方の勝利に終わった。

◆わけもわからず壊乱した杉興運は、命からがら本領の筑前へ逃走。オヤブンの大内義隆がいる山口への報告も「テ、テディベアにやられ申した・・・」と錯乱状態。やがて大内氏の大逆襲が開始されるのだが、それはエピソード2にて(笑)。

◆田手畷戦の後、シャグマの一団を召し寄せた家兼は、その首領が鍋島清久・清房の父子であったことを知り、鍋島一族に八十町の領地と龍造寺の姫を「褒美」として与えた。秦の穆公をたすけた野人ほど無欲ではなかったが、のちの佐賀鍋島藩のささやかな出発点である。

◆戦勝祝いの席でシャグマの衣装のまま踊った鍋島一族は、その仮面を長く保存した。この時の仮面とのちにきちんとした振付をさせた「面浮立(面風流とも)」は現在でも無形文化財として伝わっている。鬼や獅子の面をつけ、太鼓を中心に構成し、撥をたたきながら踊るものだ。当時の踊り手は朝鮮出兵で連れてこられた半島の舞の名手たちであったという言い伝えも残されている。




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