069「パイレーツ壊滅作戦」



千秋季忠(1534―1560)


四郎、加賀守。熱田大宮司千秋季光の子。兄季直の没後、大宮司職を継ぐ一方、織田信長に属し、羽豆崎城主となる。永禄三年(1560)、桶狭間の合戦では信長本隊の到着を待たず佐々隼人正とともに今川勢と交戦、戦死した。


◆どうせ自分は与太者にしか見られていない。熱田大宮司の神職なんぞ、どうなっても構うものか。神職なんぞは大人しい兄に似つかわしい。気ままな二男坊としてこのまま「うつけ殿」と悪評ふんぷんの織田信長に仕えて、好き放題してやる・・・つもりでいた。

◆ところが、父に続いて兄まで急死したという。

季忠「なに、オレが大宮司〜?」

熱田大宮司といえば、尾張国造の流れを汲む古い家柄。源頼朝の生母はこの家柄の出身であったという。このため熱田社は源氏の熱い尊崇を受けていた、ちょっと昔までは。今更、こんなカビの生えた家業など継ぎたくはないが、仕方ない。武士をやめない、という条件で引き受けた。彼の父季光も織田家に従って出陣、美濃の斎藤家と戦って戦死している。その血をひいたものだろう。

◆神主・季忠は、当然、神事よりもいくさに精を出した。少しは熱田大宮司としての自覚も持っていただきたい、と老母や社官などが意見するので、

季忠「よし。ならばオレも熱田社のためになることをしよう。一番困っていることはなんだ?」

周囲の者に聞いてみたところ、異口同音に本殿の修繕であるという。

季忠「待て待て。金がかかりそうだな。ほかに困ったことはないのか?」

次に弱っているとすれば、それは知多半島を根城にしている海賊だという。連中は季忠の居城がある羽豆崎を格好の出城と見て、ここにたむろしていた。季忠の家来たちの中にも海賊と仲良くなっている者がいるという。なるほど。熱田社の近辺で好き勝手をさせているのは、大宮司である自分の名折れだ。

季忠「よし、わかった。海賊を退治すればいいのだな!」

◆千秋季忠が羽豆崎にやって来ると、さながら出島のように海賊船が停泊し、繁華街には陸と海の民がたむろしている。海賊も相当の数がいると見受けられた。本格的にいくさを仕掛けると、どのような逆襲の挙に出るやもしれず、また旗色が悪くなれば船で沖へ遁走してしまうであろう。

◆そこで千秋季忠は一計を案じて、白い浄衣に折り烏帽子をススキ色の指貫袴をつけて海賊の親分のところへたったひとりで乗り込んでいった。

季忠「われらは熱田の大宮司であるが、このたび社殿の修繕をするため十万貫の勧進を集めた。それを使って熊野から材木を運んでこようと思うのだが、途中、関所なども多いし、それを管理する守護もコロコロ変わって態度が定まらないので陸路は支障がある。そこで各々が信心をもって、海路、よき材木を熊野から輸送してもらえまいか」
親分「ほかでもない社殿の復興ならば否やはござりません。ましてや十万貫の金もある。さっそくわしらの船を回航しましょう」

大はりきりで海賊衆は総出で伊勢湾へ繰り出して行った。

◆その留守中に季忠は部下に命じて、ひそかに羽豆崎の繁華街に火をかけてしまった。そして自分は何食わぬ顔で海賊たちがあとに残していった老人、子供たちを保護した。その頃には季忠の部下たちが遠浅の浜の葦など焼き払い、見渡しが効くようにし、海賊の巣窟を一掃してしまった。

◆びっくりしたのは熊野から帰ってきた海賊たち。船上から焼け野原になっている羽豆崎を呆然と眺めている。

◆材木は首尾よく千秋季忠に引き渡された。季忠は約束の十万貫を払おうとしたが、海賊たちは「これは海賊行為を怒った熱田神社のたたりかもしれん。諸国からの勧進で集められたというその金は受け取れません」と言い、さらに季忠に向かって「住む家を与えてほしい」と懇願した。そこで季忠は鷲津の干潟に土地を与えて海賊たちをそこに住まわせた。後に桶狭間の合戦で今川勢に突撃を敢行した千秋季忠の軍勢にはこの海賊たちも含まれていたかもしれない。

◆海賊とはいえ、信心深い人々を騙したことには変わりない。とんでもない神主もあったものだが、乱世のことであるからこれぐらいの才覚がないと神職もやってられないのであろう。




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