036「茶碗と小姓、どちらが大切?」



加藤清正(1562―1611)


虎之助、浄光院、日乗、従五位上、主計頭、侍従、肥後守。加藤清忠の男。母は豊臣秀吉の生母の従姉あるいは伯母にあたるといわれる聖林院。縁から秀吉に仕官。天正十一年(1583)、賤ヶ岳の合戦で武功をあげ、七本槍の一人に数えられる。秀吉に従って各地を転戦し、肥後半国二十五万石を与えられる。文禄・慶長の役では朝鮮の二王子を捕え、オランカイに攻め込むが、その独断専行が秀吉の不興を買い、一時、謹慎。慶長の大地震の際に秀吉を警護してその信任を回復する。秀吉没後、吏僚の石田三成、小西行長らと対立。慶長五年(1600)、関ヶ原合戦で徳川家康に味方し、戦後、肥後一国を領す。母譲りの熱心な日蓮宗信者。築城・治水の名手で熊本繁栄の基礎を築いた。秀吉の遺児秀頼の保護に意を注いだが、慶長十六年、熊本で死去、本妙寺に葬られる。


◆豊臣秀吉による天下統一がひとまず完成して、世の中も泰平ムード。武骨者の加藤清正も世の流れには抗しがたく、また、主君の秀吉も好きだというので、これにならって、おままごとみたいな茶をはじめた。何しろこいつをマスターしないと商人との顔つなぎもできない。仕事もままならないでは、奉公にも差し支える。くそいまいましい石田三成の小賢しい面も癪にさわる。気乗りしない茶の湯であったが、清正は猛特訓を開始。

◆しかし、これがはじめると結構面白い。もっとも茶会に呼ばれた者たちは、パソコンのキーボードを人差指一本でおそるおそる叩く世のおとうさんたちのように、巨体をちぢこまらせつつ茶をたてる清正の姿を内心、面白がっていたかもしれないが。

◆やがて茶会がおひらきとなった。清正は緊張の糸が切れたか、雪隠へ。を患っているので、すこぶる長い。世にいう「清正公の長雪隠」である。待っているうちに痺れを切らした小姓たちは、座に出されたままの茶器を眺めたり触ったりしていたが、ひとりが手元狂って、茶碗を取り落として割ってしまった。「ど、どうしよう?」と小姓たちは砕けた茶器の心配よりも短気な主人の怒りを恐れた。茶碗を割った者はガクガクと膝がふるえて、言語も不明瞭になる始末。いっそのこと清正がトイレから永遠に出て来なければいいが、と不謹慎な思いを抱く者もいた。

◆小姓たちのリーダー格である加藤平三郎は、「よし、誰が割ったかは口が裂けても言わぬぞ」と決意し、仲間の同意を確認した。ひとりならば切腹を命じられるかもしれないが、清正がお気に入りの小姓全員に切腹を命じる度胸はない、という打算もあった。

◆案の定、トイレから出てきた清正は秘蔵の茶碗が割れているのを見て、頭を抱えて天を仰ぐ。

清正「オー、マイ、ガーッ」
(注:あくまでゼスチャー。清正はやはり茶道具よりも武具が好きなのだが、茶道具は大切にと茶の師匠から口うるさく言われている。ここはショックを目に見える動作で示すべきだと清正は素直に思った)

ただちに小姓を並ばせ、茶碗を割った犯人の詮議をはじめた。しかし、加藤平三郎以下、口をつぐんで一人として清正に返事をする者はいない。かっとアタマに血がのぼった清正。茶碗を割ったのは誰だッ。誰だ誰だ誰だーッ、空の彼方におどる影〜♪

清正「臆病者めがッ。お前たちの父はいずれ劣らぬ武功の士であったのに、お前たちは父の名を汚すのか!?」

◆父のことを言われては、黙っているわけにはいかないのがこの時代。加藤平三郎は、きっと顔をあげて、清正を見た。

平三郎「わたしたちがどうして父の名を汚していると言うのですか?」
清正「たわけ。お前たちは名物の茶器を壊して、切腹を命じられると思い、犯人を庇っているのであろうがー!。命惜しさに茶器を壊した者の名を言えぬとは臆病者でなくてなんだというのだ?」
平三郎「どれほどの名器か知りませんが、茶碗ひとつのために仲間を失うわけには参りません。いざ合戦となった場合、我々は殿のために命を捧げる覚悟がありますが、あの茶碗は殿を鉄砲の玉から庇ってくれるとでもいうのでしょうか!?」

合戦のことを言われるとよわい清正。

清正「ハッ。わしとしたことが迂闊であった、許してチョーよ」(興奮すると尾張弁が混じる)

◆小姓たちの言葉に感動してウルウルしはじめた清正は、やにわに仁王立ちになった。

清正「おみゃあたち、わしのムネへ飛び込んでくるだぎゃ!」

ガバッと両腕を開くと、雪隠にいったばかり。帯も結んでおらず、着物の前がだらしなく開いてフンドシが丸出し。胸から臍、さらにフンドシに隠れたその下まで直結した剛毛の黒さが目を射る。でも、小姓たちはこの危急を逃れようと必死だ。躊躇している場合ではない。

小姓「殿〜!!」

目をつぶって清正のあつい胸に飛び込む小姓たち。ガッシ、と抱き合う主従。

清正「嗚呼。わしは茶碗一個にこだわって、もっと大切な名器を割るところであったでぁなも!」
小姓「・・・・・・」

清正の毛質が硬いため、胸毛がチクチクと頬にあたって痛いのであった。


◆もうお気づきのことと思うが、清正の逸話は、われわれにある教訓を与えてくれている。そうだ、きみたちはいざという時、秘蔵のコレクションを擲ってでも愛する者を選び取らなければならない、ということなのだ。(違うって)


※当方、生まれも育ちも関東者のため、尾張弁があやしいところは許してチョーでぃあすわせ。


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