035「庶子、家財を私すべからず」



本多忠朝(1582―1615)


内記、出雲守、従五位下。徳川四天王・本多忠勝の次男。母は安知和右衛門の女。慶長五年(1600)、父に従い関ケ原の合戦に従軍。島津陣へ斬り込み、刀がまがって鞘に入らなくなるほど奮戦し、徳川家康から賞賛される。戦後、功により父の旧領のうち上総国大多喜五万石を与えられた。慶長十九年、安房里見家改易により同地を守備。慶長二十年、大坂夏の陣で奮戦。五月七日、天王寺付近で毛利勝永の軍と戦って戦死した。大坂一心寺に葬られる。法名岸譽良玄三光院。室は一柳直盛の女。


◆筑前の太守黒田長政が大坂の役の戦勝記念と称して描かせた屏風がある。有名な「大坂夏の陣図屏風」である。夥しい人数が描き込まれていて、合戦屏風としてはもっとも秀でたものといえる。

◆ただし、この屏風絵の主人公は勝者の徳川家康でもなければ、悲劇の英雄真田幸村でもない。ましてや屏風絵のオーナーである黒田長政でもない。

◆屏風絵全体を見渡すと、たいていの人はある人物にひきつけられる。画面中央で複数の敵を相手に奮戦する鹿角の兜を被った騎馬武者。本多出雲守忠朝。あの「家康に過ぎたるものがふたつある、唐のかしらに本多平八」と謳われた名将本多平八郎忠勝の次男なのである。

◆忠朝は家康の不興を買っていた。前年の冬の陣で持ち場の変更を願い出たところ、家康から「親の平八郎に似ず、柄がでかいだけで役に立たぬやつめ」と罵倒されていたのである。その家康は、関ヶ原の合戦における忠朝の働きを「行く末、父にも劣るまじき」と絶賛しているのである。家康が慎重かつ用心深いという見方はそろそろ再検討するべきで、彼はその場その場の感情を抑えられない性分の男なのであろう。

◆忠朝は父と比較され、役立たずと罵倒されてからというもの、再度の開戦を待ち望んでいた。討死を覚悟し、最期の奮戦で家康を見返してやるつもりだった。そして、翌年、大坂夏の陣の主力決戦において毛利勝永の隊と戦って壮烈な戦死を遂げるのである。他家の黒田長政が屏風に描かせたくらいだから、忠朝の戦死は、当時相当な評判をとったものと思われる。

◆カッとなって突撃憤死。これでは短絡的な猪武者ではないか、と見るむきもある。しかし、猪武者のレッテルを貼るのは、彼の人柄を知る次のエピソードを読んでからにしてほしい。

◆父の本多忠勝は死の床にあって、「美濃守(忠政)は嫡子でもあり、家を継ぐことは上様の命令でもある。武具、馬具、茶道具にいたるまで、ことごとく美濃守に譲る。さらにわしは黄金一万五千両を蓄えておいたが、次男の出雲守(忠朝)は小身でもあるから、その黄金を与えよ」と遺言したという。

これを聞いた忠政は父の遺言とはいえ、納得がいかない。

忠政「親の遺領は嫡子が継ぐのは勿論のこと。遺物もまた、嫡子が受けるのは古今の当然事である」

そう言って、父が蓄えていた黄金を自分の蔵に運び込み、封をしてしまった。

◆本多家の家老松下河内は、忠朝のもとへ事情を説明しに参上した。

忠朝「左様か。われは小身のため金銀はさほど必要はない。兄上は家士も多く抱えて大変であろう。いざという時の軍馬の蓄えもいかほどかかるやら。父上はわしを可愛く思われて遺言を残されたのであろうが、それに甘えては義にもとる」

かっこいいじゃねえか。普通だったら、「貧乏なんだから、分け前よこせ」と言うよな。
松下河内から仔細を聞いた兄の忠政は、おのれを恥じて改心し、父の遺言に従う旨を弟に伝えた。が、忠朝は固辞して黄金を受けようとはしない。松下河内らが兄弟の親類衆と相談した結果、黄金はなかよく二分割することになったが・・・。

◆なんと、忠朝は自分の取り分に封をして、兄の蔵に預けてしまった。

忠朝「何か急の入用があった場合はお願いいたします」

そう言ったものの、彼は終生びた一文も使わなかったという。『古老雑記』が伝える話である。

◆さて、大坂天王寺表における忠朝の戦死を聞いた家康は、沈痛な面持ちで本多忠政を呼び寄せた。家康にしても感情的になったおのれを恥じ、忠朝を死に追いやったことに内心忸怩たるものを感じていたに違いない。忠朝の部下のうち生き残った者があったら、ひとり残らず感状を与えるように伝えたということである。家康の命に従い、忠政から感状を受けた者としては、窪田伝十郎、大原物右衛門、柳田左馬允、山本只右衛門、小鹿主馬助の五人の名が伝えられている。

◆おそらく忠勝は自分によく似た資質の次男のほうを可愛がっていたのであろう。しかし、家名を残すために、政治力のある嫡男に家督を相続させた。おそらく苦渋の選択であったであろうことは想像がつく。結果論になってしまうが、嫡男忠政の系統は幕末まで残り、忠朝の家系はその後、数代で絶えてしまった。しかしながら、弟は兄に比して、後世に圧倒的な印象を残してくれている。今の世に有り難き話である。

♪「自分がいちばん次男、次男」



XFILE・MENU