上泉義胤(1592―1672)
孫次郎、民部、権右衛門、秀信、義郷、宗重。隠居の後は是入と号す。父は上泉秀胤。剣聖・上泉伊勢守信綱の孫にあたる。陰流はおさめず、父の師匠・長野無楽斎(林崎甚助門流)について居合抜刀術を習得。無楽流上泉派居合および民禰流を流名とする。諸国遍歴の後に柳生利巌の推挙によって尾張徳川家に仕える。没年には正保四年(1647)説もある。
信綱―┬─伊勢守秀綱(A)――主水泰綱(米沢藩) │ ├─主水憲元(会津一刀流) │ └─常陸介秀胤(B)――権右衛門義胤(尾張藩)以上が『国史大事典』(吉川弘文館)に拠った系図です。秀胤(A)は実子で秀胤(B)は養子です。当ファイルの主人公義胤は秀胤(B)の子であり、ごえもん調査官の指摘どおり「北条氏に仕え云々」の義胤(A)の子ではないことをおことわりしておきます。(X-file書記:三楽堂)