024「髭よさらば」



土井利勝(1573―1644)


松千代、甚三郎、大炊頭、従四位下侍従。水野信元の子で土井利昌の養子となる。長じて徳川秀忠に仕え、関ヶ原合戦に従軍、第一の出頭人となる。慶長十五年(1610)、老中に就任。元和元年(1615)、大坂夏の陣に従軍。寛永十年(1633)、古河において十六万石を領す。のちに江戸幕府大老となり、元和・寛永前期には幕閣の中枢で絶大な権勢をふるった。寛永十五年、小事に関する出仕を免除されたが、重要政務には徳川家光からの諮問を受けた。正保元年(1644)、死去。芝増上寺に葬られた。


◆会議中、会長がうっかりしてコーヒーをこぼしたので、みんながそれにならって自分の前のコーヒーカップを倒した。ひとりカップに手をかけない男に向かって、会長をはじめ一同の眼が集まる・・・どうなんだ、おまえはカップを倒さないのか?とその眼は詰問している。
「上司に恵まれなかったら・・・」というキャッチフレーズでちょっと前に話題になった人材派遣会社のCMである。いろいろなバージョンがあったので、おぼえておられる方も多いだろう。ちなみにわたしは、秘書がお茶だかを持って役員室へ入ると、会長がバニーちゃんの格好をしている、というパターンが好きだった。

◆今回の話は、前述のコーヒーのような、話である。

◆寛永初年、というから戦国の遺風いまだ強い頃のことだ。この時の実力ナンバーワンは、老中の土井利勝。仁慈の人、と評判もよかった。少なくともバニーちゃんの格好をするような人ではなかったが、杓子定規の人でもなかったらしい。城中で禁煙令が出た折も、タバコを吸ってる大名を見つけ、わたしも一服・・・と吸ってしまった逸話の残っている。

◆その頃、江戸城では妙な噂が流れた。

幕臣A「さてもさても似ておられることよ」
幕臣B「まことに」
幕臣C「御落胤の噂・・・まことであろうかのう?」

◆壮年にいたるにしたがって利勝の容貌はある人物に異様なほどに似てきた。それを見た幕閣はなんとなく利勝を畏怖するような空気に包まれた。

◆利勝もやがてそのことに気づいた。自分の顔が、亡き大御所・徳川家康に生き写しだということに・・・。家康は水野信元の妹(お大の方)の子であるし、利勝は信元の子であるから、系図の上では家康は利勝の従兄弟にあたる。利勝が家康の御落胤ではないか、という説が江戸時代からあった。真偽のほどはともかく、利勝の出世ぶり・信任ぶりから発した風聞であったろう。しかし、当人にしてみれば、とんだ迷惑、

利勝「これはまずい・・・下手をすればわが命を縮める因ともなろう・・・」

◆とくにこの髭がいけない、これが大御所の髭に似ているからだ、と気づいた利勝は、惜しげなく立派な髭を剃り落としてしまった。

◆大老である利勝が髭を剃ったことで、事情を知ってか知らずか、われもわれもと「右にならえ」、みんなで髭を剃り落としてしまった。学生の頃、教わった方も多いだろう、「中国の歴史上の人物には髭がある。司馬遷のように男なのに髭がないのは、宦官である」と。豊臣秀吉などは髭が薄いのを気にして、つけ髭を用いていたことはよく知られている。その髭をわざわざ落としてしまうとは・・・。

◆『落穂集』にいわく、

「土井大炊頭利勝、実は神祖の御落胤なり。(中略)ある時殿中に於て、其容貌のよく神祖に似させられたる由、人の囁けるをほのかに聞て、翌日登城の折から、髭を剃落して出られける。諸人是を見て、大に驚きぬ。今こそあれ、其頃髭なき人は、古今希有なれば、驚しも理なり。其の依る所の所以はしらね共、利勝のかくある上は、さらば髭を取らんと、我も我もと剃落しける、則今の風俗と成たり」

◆まあ、利勝が「家康に似ているから」という理由で髭を剃ったことを知ったら、他の武士たちはどう思ったことであろうか。知ったからといって、剃ったものをまた生やすのには勇気がいる。まわりはみんな、ツンツルテンなのだから・・・。

◆以後、髭を生やす武士は、謀反の気持ちありや、と疑われるまでになってしまう。これが日本の武士から髭が消えた顛末、である。髭がないのは宦官というが、世の武士たちが徳川の飼い犬となりさがった瞬間でもある。大陸の人間が見たら、いっせいに去勢したんかと勘違いするかも?。ホンマかいな(笑)

髭よさらば、乱世よさらば



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