023「赤備え井伊軍団でホワイトは許されるか?」



広瀬景房(?―?)


美濃守、清八、郷左衛門、景昌。甲斐国石和の郷士で武田信玄に仕え、板垣信方、つづいて山県昌景の隊に加わった。天文十二年(1543)、信濃佐久郡尾台城攻めに従軍。永禄十二年(1569)、駿河八幡平で小田原北条氏と戦う。天正三年(1575)の長篠戦いでは足軽大将となり、敗戦後も武田氏に忠誠を尽した。武田家が滅亡した後は、徳川家康に召し抱えられ、井伊直政の家臣となった。


★「赤備え」といえば、あなたは誰を思い浮かべるか?

★大坂の陣における「日本一の兵」真田幸村。徳川四天王の一「赤鬼」こと井伊直政。いやいや、真田よりも井伊よりも、武田信玄の武将飯富虎昌こそが赤備えの元祖だ、という意見も当然あるだろう。

★よろしい、あなたがこの上記のいずれの武将でもよい、エリート集団の印である赤い武具・甲冑に身を固め、もっとも名誉ある部隊の一員を担ったとしようじゃないか。あなたの前にいる男も赤、右を向いても赤、左を向いても赤、後ろであなたの隙をうかがい、あわよくば手柄を横取りしようと狙っている男も赤だ。

★そこであなたは思うだろう。これじゃ、「その他大勢」といっしょだ、仮面ライダーでいえば「イー!イー!」と奇声をあげる戦闘員(あれは黒だったが)、機動戦士ガンダムでいえば量産型GM。いざ戦場で手柄をあげようとも、これでは目立たない。主君の眼にとまらない。

★だが、ひとたび赤備えの隊に入ったからには、赤い甲冑・赤い旗指物・赤い母衣を用いなければならないのだ。調和を乱さないためにも。そう、調和だ、ハーモニーだ。ハーモニーこそは、集団戦闘に欠かせないものだ。そのための「赤備え」なのだ。

★しかし、ここに「赤備え」以外でもよい、と許可された男がいる。広瀬美濃、名は景房。彼は甲斐武田家の遺臣であったが、主家が滅んで徳川家に再就職した。経歴はそこそこだが、一般にはあまり知られていない男だろう。が、当時は「軽薄なることなき勇士なり」と武田信玄にもみとめられた猛者。しかも、面接をした徳川家康の眼鏡にもかなった「ウリ」があった。広瀬はあの赤備えで有名な飯富虎昌の弟・山県昌景隊に所属していたエリートだったのである。

★家康は井伊直政の下に甲斐武田の遺臣たちを多く配属せしめた。

家康「万千代よ」
直政「は?」
家康「信玄公の内で山県の兄・飯富兵部という侍大将の備えは赤備えであると聞いた」
直政「御意のとおりにございます。惣朱の旗指物など、まるでフンドシですな、ハッハッハ」
家康「その後は浅利、小幡などが真似をしたというが、万千代、そなたの隊もこれよりは鞍、鐙、馬の鞭にいたるまで真っ赤っかにせよ」
直政「は、はあ・・・」(恥ずかしい・・・)
家康「ただし、広瀬美濃と三科肥前の二人は、他国にも知られた旗指物を所持しているゆえ、ぜんぶ真っ赤にはしなくてよいぞ!」
直政「あ、あのわたくしも赤いのは結構でございます」
家康「万千代・・・わしはおぬしに赤を着せたいのじゃあ」

★かくして、家康の許可をもらったわけだから、広瀬は「白幌はり」、三科は「金のわぬけ」とそれぞれ日頃愛用していた装備を整えた。

★さて、新生・「井伊の赤備え」の威容を軍記物の描写をかりてみてみよう。

★「道にて狼煙一筋見えければ、いよいよ急ぎわれ先にと行列少し乱れしが、井伊万千代直政ばかり赤備三千ばかりにて押太鼓を打ち、いかにもしずしずと行列正しく押し来る・・・」
もっと近くへよってみれば。
主将・井伊直政の横には、広瀬美濃景房。赤い集団の中にあって、白幌はりの旗指物をひらめかせつつ進む様子は遠目にもひときわ精彩を放っている。いやはや、その目立つこと。それにひきかえ、頭の先から足の先まで真っ赤な兵たちは、顔まで赤く染め、恥ずかしそうに俯きつつ、やや内股気味に行軍していく・・・。

広瀬「いやあ、壮観、壮観。眼に痛いぐらいの赤でござるな♪」
直政(ピンクや花柄よりはまだしもか・・・)



*補足調査
井伊ノ赤備ハ、山形昌景ノ赤備ヲ真似タノデ御座候。証拠ニ、家康様ハ、山形勢ノ恐シサユエ、武田滅亡後、旧山形勢ノ生キ残リ武士達全員ヲ彦根井伊家ニ仕官サセテイル。更ニハ、調和ヲ保ツタメノ赤備デナクバ、ハーモニーノ類デモナイ。アレハ、闘牛ノ時、赤イ布ヲフッテ牛ヲ挑発スルヨウニ、(後ニ、牛ガ色ヲ見分ケラレナイコトニ気付クガ・・・)兵ノ意気ヲ統合スルト共ニ、赤色デ気ヲ高ブラセ、士気ヲ上ゲルタメノ鼓舞ニツナガルワケナノダ。御分リイタダケタダロウカ。(X-file特別調査官:榊原康政)



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