018「時にはランナーのように」



お市の方(1547―1583)


織田信秀の娘で信長の妹。近年は同腹の兄妹である説が有力。浅井長政に嫁いで小谷の方とよばれる。長政との間に茶々、初、督の三女をもうける。信長の小谷城攻撃によって娘たちとともに城外へ出され、信長の庇護下に入る。本能寺の変後、柴田勝家に再嫁し、越前北庄に移る。翌年、羽柴秀吉に攻められ、夫とともに自刃。高野山持明院に伝わる肖像画に戦国一の美女と評された面影を窺うことができる。


★戦国一の美女、といわれるお市の方の登場である。もし、江戸時代の市井に生きていたら「筆屋のお市」などといって浮世絵なんぞに描かれたかもしれないし、現代であったら、週刊誌のグラビアなんかになったかもしれない。

★お市が嫁いだ江北、今の浅井町はこの戦国の美女を地域振興の呼び物にしようと懸命である。「お市も通った」という小谷城の麓にある須賀谷温泉。ここでは部屋が「柴田勝家の間」だとか「羽柴秀吉の間」といったような名がつけられ、食事時には「お市の方のイラスト入りナプキン」をくれる。もちろん、記念に持ち帰った。温泉は鉄分が多いらしく、露天風呂の岩肌の赤茶けた色がタオルにうつってしまった。

★しかし、なんといってもインパクトがあるのが、平成三年からはじまったという「浅井お市マラソン大会」であろう。これは東浅井郡浅井町が毎年十月十日に行っているもので、5km、ハーフの2種があるそうだ。どうして、お市とマラソン?と思ってしまう。お市の方が早駈けが好きだったという話は伝わっていない。それどころか、生涯で「走ったことなど一度もなかったかもしれない」お市の名が冠せられている。

★走ることにかけては秀吉の専売特許だと思うのだが、浅井にとっては敵ともいえる秀吉は隣りの長浜市がしっかりと握っているし、なんといっても彼はお市に懸想していたというから、地元の感情も複雑だろう。薄汚い猿なんぞに、おれたちのお市さまを渡してなるものか、と。

★かと言って、「浅井長政記念マラソン」ではイマイチ、の観が否めない。美女お市がたすきがけで白い脛の辺りをちらちらさせながら走る光景を妄想しながら、江北の野に汗を流すほうがいいのだろう。有名な肖像画のお市がランニング姿でハァ、ハァ言いながら走っているのは少々異様だけど。

秀吉「お、お市さまのジョギングシューズ・・・」
秀吉、シューズをひしと抱いて顔におしあてる。
(注・山田風太郎の『妖説太閤記』ね。笑)


★そーかー!わかった。マラソンランナーは小豆を入れた袋を持って走るんだ。もちろん、両端を縛ってあって、「兄上、織田軍は袋の鼠です」と懸命に知らせようとしたお市の姿に託して、ランナーは湖岸を走るのだ!(まさかね・・・。でも、いっそのこと「お市駅伝」か「お市リレー」にしてバトンのかわりに小豆の袋を持たせればいいのではないか?)

秀吉「おお、それでもって小雨なんかが顔にあたって涙か雨滴かわからなくなっているような感じがたまらぬでゃあ(トランス状態)」
(注・江北から伊吹山麓にかけたは雨が多い)

★まあ、別にマラソンをしなくても賤ヶ岳から小谷、安土の辺りはいつ行っても素敵な土地である。余裕をもってぶらぶら見てまわるには最高だ。

★ところで、どうでもいいけど、最近のドラマ(特に某NHK)は「あざい」という読み方に妙にこだわるねえ。出演者全員が台本読みながら、「あ・ざ・い」と繰り返し練習でもしたかのようにまあ、揃って濁っている。台本には絶対、振り仮名を振ってあったと思うぞ。おそらくは時代考証を担当している大学のせんせなどのご指摘であるのだろうけど。『日本史広辞典』などでは「あさい」と読ませている。同辞典には浅井郡を「あさいぐん。あざいぐんとも」とあるので、それほど厳密性を要求していない。

★テレビドラマという手段を用いて、「あざい」を一般に認知させようという魂胆であろうか。秀吉の妻「ねね」も「おね」になっていた。あれ以来、本などでは揃って「おね」と書いてある。いっそのこと双子を妻に貰ったことにしてはどうだろう。

秀吉「おーい、おね。いや、ねね。エート、おまえはおねか?」
ねね「いいえ、おねはあっち。わたしはねねよ」
おね「おねはわたしでございます」

★そういえば、「太平記」を放送した時にも「大塔宮」を古来からの「だいとうのみや」ではなく最近の研究に基づくという「おおとうのみや」と読んでいたので、ある年齢層には大分違和感があったそうだ。

★ともあれ、そういう部分に拘りをみせつつ、登場人物の実際年齢よりだいぶ上の役者を使うことにはあまり拘りがないらしい(笑)。某ドラマの信長とお市の方(ついでにちらりと登場した勘十郎信行)の兄弟のふけてたこと(笑)。


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