史跡・スポット


独断と偏見のおすすめ度
★★★★★・・・・・・マニアならば必見スポット。
★★★★・・・・・・・意外と知られていない穴場かも。買い物、名物、温泉を求める人には向かない。
★★★・・・・・・・・観光客うじゃうじゃのおきまりコース。買い物好きも大喜び。
★★・・・・・・・・・時間つぶしか他に予定がなければ。
・・・・・・・・・・はずれ。話題にしたくもない。

武田信玄像★★★

今や山梨のシンボル。甲府駅前の巨大な武田信玄公像。山梨関連のニュースなどで時々映るので、「これか」と思う方も多いはず。武田神社などのスポットがある方向とは反対側なので、最初にパッと見てしまったほうがよさそう。甲府市丸の内。

躑躅ヶ崎館跡★★★

戦国期に入って武田信虎が石和の川田館から移り、躑躅ヶ崎館に住んで城下町甲府を創建した。以後、滅亡まで約六十年間、武田氏の居館として使用される。土塁、堀などが残り、現在、武田神社、宝物殿、藤村記念館がある。館と周辺の家臣屋敷跡は国指定史跡。甲府市古府中中町。

武田神社★★★

大正四年、武田信玄に従三位が追贈されたのを機に、武田神社奉建会が結成され、大正八年四月十二日に創建。この日は信玄の命日で、毎年、例祭があり、信玄と武田二十四将の甲州軍団出陣模様が再現される。宝物殿と藤村記念館が併設。甲府市古府中中町。

武田神社宝物殿★★★★★

武田神社本殿横の宝物館。武田神社創建後、京都三条家から名刀「吉岡一文字」(重文。現在は東京国立博物館にある)が寄進されたのをはじめ、武田家旧臣からの遺宝が寄せられ、これを保管・管理している。その一部を宝物殿で公開。信玄筆の絵や武具などが展示。各年ごとに使用された「信玄公祭り」のポスターもある。武田神社発行の『図説武田信玄』はここで入手可能。

円光院★★

信玄正室三条氏(三条公頼次女)が建立。夫人の宝筐印塔がある。これは、三条氏が元亀元年七月二十八日に亡くなった時、盛大な葬儀が行われた際に建立されたという。快川国師の言葉による三条夫人お人柄の真実(笑)「西方一美人/円光如日/和気似春」という看板がある。「これにより暖かく穏やかな三条夫人の婦徳高いお姿が偲ばれます」とのこと。左右の灯篭は柳沢吉保(武田氏庶流)が寄進したもの。甲府市岩窪町。

武田信玄廟所★★

駒場から運ばれた信玄の遺骸を荼毘に付した場所といわれる。「法性院大僧正機山信玄之墓」と刻まれた墓石は安永八年に建てられたもの。ここに仮埋葬されて、その後、恵林寺に埋葬されたといわれる。道路をはさんで反対側には、織田信長の家臣で武田家滅亡後、一時、甲府を支配した河尻秀隆の塚がある。甲府市岩窪町。

大泉寺・武田信虎廟★★

武田信虎が建立。信虎の墓碑、勝頼の供養塔がある。古びた山門がいい。信虎・勝頼の墓碑・供養塔は霊屋の裏手にあり。信玄の弟・武田信廉筆「武田信虎画像」を所蔵。甲府市古府中町。

長禅寺・大井夫人廟★★

岐秀元伯を開山とし、信玄が創建。甲府五山の筆頭。信玄の母・大井夫人の廟所。寺宝として武田信廉筆「大井夫人画像」を伝える。三重の塔などみごとな伽藍がJRの窓からも見える。境内の巨大な鐘にびっくり。甲府市愛宕町。

長禅寺・大井夫人墓所★★

長禅寺の竹林を抜けた丘陵にある。大井夫人は武田の庶流・大井信達の女。父が武田信虎と和睦した際、これに嫁した。信虎追放後も甲斐に残り、天文二十一年(1552)に没した。法名瑞雲院殿心月珠泉大姉。甲府市愛宕町。

川中島古戦場★★★

現在は、八幡原史跡公園となっており、「信玄・謙信の一騎打ち像」や「三太刀七太刀の碑」などが点在する。左写真は上杉謙信が本陣を置いたといわれる妻女山から信玄本陣といわれる茶臼山方面をのぞんだもの。右手が松代方面(海津城のある方角)になる。

海津城跡★★

山本勘助が築城したといわれる武田方の北信地方の重要拠点。川中島合戦以後、高坂弾正昌信が城代となった。のちに松代城と改称され、真田信之が上田から移り、明治維新を迎える。

三増峠古戦場★★

永禄十二年(1569)、小田原を攻めた信玄が帰途、北条氏政の追撃を受け、勝利した場所。現在、信玄が本陣を置いた辺りに記念碑と両軍布陣図が建てられている。周囲は養鶏場などが多く、ちょっとクサイ。麓には退却路として使用された「信玄道」も残っている。愛川町三増。

信玄旗立松★★

三増峠古戦場碑から案内板に従って少し山に入ったところにある東名厚木CC(三増峠関連はこのゴルフ場を目印にするとよい)の中にある。しかも、コースを横切り、丘の斜面にうがたれた小径を登らなければならない。手すり・階段などはないので転落(笑)注意。そのかわり、眺望は素晴らしい。愛川町志田。

浅利明神★★

三増合戦で殿軍をつとめて戦死した武田方・浅利信種の墓所。後年、村人によって骨壷が掘り出され、祠を祭って浅利明神とした。木刀を供える風習が残る。しかし、案内板はなし。地元では「あさりさま」として親しまれているので、道を聞いた方が確実。付近には三増合戦の両軍兵士の首塚・胴塚などもあり。愛川町三増。

高野山霊宝館★★★★★

武田信玄画像(左写真。もちろん本物は撮影不許可なので、またもやテレカで代用する)や、武田勝頼・夫人・信勝画像が持明院から寄託されている。訪れた時には勝頼おやこのものが運良く展示されていた。主な展示品は国宝「八大童子立像」、国宝「仏涅槃図」、重文「孔雀明王像」など。和歌山県高野町。

高野山・信玄勝頼墓所★★★★

高野山奥ノ院に武田信玄・勝頼親子の供養塔がある。菩提所である成慶院には画像などが伝わっている。ライバル上杉謙信の朱塗りの廟所からほど近い距離にあるのも面白い。和歌山県高野町。