1.さまざまな悩み
1996年の今。それは、10年前に比較したら考えられないくらいに、ぼくの情報 生活は充実している。28.8kbpsのモデム、ハードディスクを備えたパソコンと オートパイロット環境。CD−ROMプレイヤー。家庭にも勤務先にもその環境が整 い、さらに、携帯端末も軽くてパワフルで似たようなネットワーク環境にある。一方、 AV環境も充実してきている。ディジタル・オーディオのセットとそして、VTR と美しい映像のテレビ。 とても考えられない情報環境が整い、そして、ありがたいことに、年々安くなり、パ ワフルになる。これらの情報環境の革新に貢献している人々に心から感謝している。し かし、ぼくはいつも欲求不満のようなものを感じている。 この欲求不満は、情報環境をハードやソフトでいくら改善しても解消されるものでは ないようなのだ。映像や音声や写真やグラフィクスなどの処理もできるとてもパワフル なマルチメディアの情報環境が整うだろう。そうなれば、欲求不満も改善して良さそう なものではないか。しかし、情報環境が改善すればするほど欲求不満は募るばかりだと いう気がしてくる。ぼやいていてもはじまらない。問題をブレークダウンして、解決の 糸口も見いだそう。(1)スポンサーとして顧客に情報を発信するが虚しさがともなう・・・
勤務先でのぼくは、商品やサービスのプロモーションに関わっている。役に立たない 情報を世の中に振りまいているのではないか。そんな虚しさに囚われることが多い。顧 客層を想定して、その顧客層にメッセージを伝えるのに一番効率的とされるメディアを 想定して、そして、ある時期になると一斉にメッセージを流す。競争相手も同じような ことをやっている。 しかし、その手応えがないのだ。情報の消費者としてのぼくが、自分にとってあまり 緊急性のない情報についてはとても無造作に捨てる場面が思い浮かぶ。今、スポンサー として、ここで情報を発信しようとしている。しかし、本当に、伝えたい人に伝わって いるのだろうか。メッセージをマスメディアを通じて流しているが、コストに見合った 成果が上がるのか。疑問はぬぐえない。不安と欲求不満がここでもたまっていく。(2)さまざまな情報がやってくるが求める情報は動かなくては見つからない・・・
さまざまなダイレクトメールや通信販売のカタログがぼくのもとに送られてくる。ぼ んやりテレビを見ているとCMが流れてきて、さまざまなメッセージが伝えられてく る。しかし、その商品やサービスは、まず自分にとって必要にはならないものばかりで はないのか。さまざまな情報がぼくをめがけてやってくるが、ノイズでしかない場合が 多いのではないか。 情報がやってくるのに、それが自分にとっての関係が薄い場合、欲求不満となる。さ まざまな経路でぼくの住所や電話番号は知られてしまい、このような情報は日々増えて いく。そして、テレビや新聞などのマスメディアは、容赦なくさまざまな当面のぼくに とってあまり関係のない情報を発信し続ける。 すべてをシャットダウンできるほど、ぼくも強い人間ではない。シャットダウンし て、本当に必要な情報が入ってこなくなってしまったらどうしよう。そんな不安もつき まとう。情報洪水とはよく名付けたものだ。洪水のなかで溺れてしまいそうになって も、水が涸れてしまったら、生きつづけることはできない。情報がシャットダウンした とたんに、この世の中では、展望無き暴走を強いられてしまうのだ。 自分の求める情報。自分が、今、この瞬間に必要とする情報。これを求めて手に入れ ない限りは、満足できないのだ。そのためにネットを。この5年でぼくがネット経由で 手に入れる情報は当初では信じられなかったくらい増えてきている。しかし、そこには また新たな悩みの種が生まれている。(3)ネットで活発になればなるほどコストがかかる構造が何とかならないか・・・
ネットでのコミュニケーションが、ぼくの生活の中心となってから、もう5年以上に なる。ネットを通じて、出会った友人もずいぶんと増えた。また、フォーラムやパティ オやホームパーティのなかでぼくもずいぶんと積極的に発言するようになったし、ぼく 自身のホームパーティを持てるようになった。そこで交わされる話題も、最初のうち は、一般的な話題や他のアクティブな人たちが設定する話題の流れに自分を合わせるよ うにしていたのが、今や、相当深い議論や狭い範囲の人々でないと共有できない対象に ついての議論もできるようになった。 智恵と智恵を交流する。これは、紙を無駄にしたり、電話などの手段にいまだにしが みついていたり、あるいは、情報交換をするためにとても高級なセッティングでないと できない人々に比べれば、社会全体で見ればずっと安い費用で、あるいは、手弁当で世 の中の発展のためのコミュニケーションを展開している。そのような人々の方が、旧来 の手段から抜け出せない人々よりも経済的負担が大きくなる。2.3つの悩みの解決の方向性
前段で述べた3つの悩みをどのように解決できるか。その方向性を考えてみよう。(1)スポンサーとして顧客に情報を発信するが虚しさがともなう・・・
→ あらかじめ登録した顧客だけに情報発信する! この悩みの源泉は、顔がよく見えない顧客に情報発信をすることであった。顧客の興 味、関心をあらかじめ自分たちに知らせてもらい、その顧客にだけ情報発信を行うこと ができれば、情報発信の歩留りが高まる。顧客による電子メールアドレスの登録。そし て、メーリング・リストのという、現在のネットワーキングでは当たり前となりつつあ る仕組みを活用することが解決策になりそうだ。そして、これからマルチメディア化し ていく環境のなかで、発信する情報自体の魅力も高まるにちがいない。(2)さまざまな情報がやってくるが求める情報は動かなくては見つからない・・・
→ あらかじめ欲しい情報だけがやってくるように登録する! 自分にとっての興味をそそる情報がやってくる確率が高まれば、ますます情報化する 社会のなかでの主導権を自分に取り戻すことができる。受取る情報の有用性が高まれば 高まるほど、さまざまな人々の思考や情報発信はますます冴えたものとなるだろう。冴 えた思考の成果がコミュニケートされるスピードも、ノイズが無くなるぶん速くなるに 違いない。情報の発信と受信の善循環を期待できるだろう。(3)ネットで活発になればなるほどコストがかかる構造が何とかならないか・・・
→ ネットでの活動には定額制を導入する! 人々が考えること、コミュニケートすることが、社会の発展につながる。あえて楽観 的になり、性善説に立つ必要がある。このこと自体、「人間とは何か」というきわめて 根本的な問いに対する答を出すことでもある。「マルチメディア社会」、「情報社会」 を展望することの大前提は、人々のコミュニケーションは社会の発展に資することを だ。これは自己実現的予言のような命題なのかもしれない。 この命題の意味するところを貫徹するためには、これまでの従量制の料金体系とは異 なるものに準拠する必要がある。ネットワークでのコミュニケーションを活発にしても 損をしない仕組み。そのような仕組みの料金体系は、定額制なのだ。そうすることで、 情報の受発信を活発にする、人間の智恵にさらに磨きを活発化するプロセスとすること ができる。3.スポンサード・ネットワークの仕組みをパソコン通信に!
→ 人類の発展のさらなる歴史がここから始まるのだ! スポンサーがパソコン通信ネットワークを援助する。そのような仕組みを今から作り 込むべきではないのか。パソコン通信の人口はこれからどんどん拡大していく。メディ アとして見た時、かつてのテレビのような普及を遂げる前兆が現れているではないか。 ビジネスに関わる人々、産業政策に関わるすべての人々はこの可能性にかけてほしい。 その第一歩は、これまでさまざま販売促進費用、宣伝費用にかけていた費用をぜひパソ コン通信のスポンサーとなるという方向で支出先を転換することだ。そしてネットワー カーたちは最低限の定額を徴収し、活発に活動することで必要となる費用はスポンサー が負担する仕組みを作る。 その代償として、購買意欲や関心の高い顧客に情報を発信することが許されるような ルールを作る。スポンサーにとって情報発信の見返りの少ないとあみをかけるような情 報発信の発信先を絞る、顧客が受取る情報はビビッドな興味を持つものに限定される。 そのような「場」をメディアとして今から志向するべきではないのか。若いメディア だ。そこには、今のぼくらには予期しえない可能性のフロンティアが広がっている。 ネットワークの利用をあえて制限しない仕組みを作ることには、不安が伴うだろう。 しかし、性善説に立つのだ。人間の智恵の発展にあえて楽観的なスタンスを取ってみよ うではないか。「必要は発明の母」だ。コミュニケーション手段についてのニーズが活 性化されることで、コミュニケーション手段のイノベーションがさらに進むだろう。あ えて楽観的な展望にしたがって、思い切ったことをしてみよう。「善循環」をパソコン 通信の世界で実現しよう。あえてこの冒険にチャレンジする人々の登場を願ってやまな い。そのような人々の名は、人間社会の進歩に真に貢献した人々として末永く記憶さ れ、賞賛されることだろう。(了)
Original 950529 Revised 960324