世紀末の作法

書誌情報


著者:宮台真司

書名:世紀末の作法 -- 終ワリナキ日常ヲ生キル知恵 --

発行所:メディアファクトリー リクルート ダ・ウィンチ編集部

発行日:97.8.1 

定価:本体 1500円(税別)

ISBN4-88991-461-7


感想文


良い時に、良い書物に巡り会うと得をした気になる。この書物もそんな一冊であった。

オヤジ、オヤジ、オヤジ・・・

「これまでの人生観でやっていたら『つまり、オヤジになるわけ、おれ?それってちがうよね。そんなはずじゃなかったはずじゃないの?それっておれ心底望んでいることなの?組織に自分の人生のプロデュース任せてしまっているのではないの。組織って仕組みが親身になって自分の人生のプロデュースをやってくれるわけないじゃないの。まずいじゃない、それ。」

みたいな心境になるであろうか。そんな思いで、音楽活動を再開したりとか、あるいは、plan Bというような表現者の出入りする場所で、小イベントを催したりとか、ウェブ・ページをつくったり、メーリング・リストのモデレータをやったり、などということをはじめている自分にとって、「良い時に、良い書物」だったのである。

7月にかつての学友であり、その後、交友の続いている竹村洋介氏と会ったおりに、竹村氏が貴著「世紀末の作法」を持っているのを見て、「こりゃ、買わなければいかん。読まなければいかん。」というようなことを考え、今年の夏休みに読んだ次第。

ろくに突き詰めもせずに、「●●のために」と言いふらしつつ、「●●」に価値観、人生観もどっぷり依存している。いざ、「●●」が共同体のような優しい仕組みではなく、利益が得られなければ企業は利益貢献の少ない要員を削減するわけであるし、行政組織であれば所期の効率、効果を達成できなければそれらへの貢献の少ない要員を削減するわけである・・・ということがわかった時、あたふたする。そのくせ、自分に火の粉が降ってくるまでは、「これまで一生懸命やってきたのだから俺だけは大丈夫」という突き詰めたら根拠希薄な期待と思い込みだけでしかないイメージだけを拠り所にする。

宮台氏が「オヤジ的」というのは上記のようなことだろうと理解し、今後の戒めにしていきたいと思う。今後も、この本に何度も立ち返り、今の自分はどうか?ということを検証しつつ生きて行かないと、「やっぱ、オヤジだった」ということになりかねないとも感じる。

システムの「設計」と「メンテナンス」のやり方

この本のなかでは、社会システムの設計とメンテナンスは誰かがやらなくてはいけないのだけれども、この「誰か」の動機をいかに担保するかという提起がなされている箇所がある。(P278) これを巡って、以下のようなことを考えた。

終身雇用、年功序列、それを補完する仕組みとしての天下り等々の仕掛けが、グローバルな企業間、行政組織間の競争において競争力がなくなってきている。これは何を意味するかといえば、一人の人に「お前、一生汗水垂らして、自らの自尊心=エリート意識だけに依拠して、がんばれ!」と言っても酷であるし、結局、そういうエリート意識は屈折した優越感に他ならないから、まあ、ろくな結果をもたらさない。権力、権威の維持・再生産という指向を強く持つ。

とすると、我慢できる期間に限定して、その仕事に従事してもらうしかない。役割を分割してそれを特定の人にやってもらうということ。これはもう無理、無駄、むらでうまくいかない。純粋なふりをして動機が組織の権益維持という形で不純になるという提起を宮台氏はおこなっているのだと思う。

役割を人に与えるのではなく、仕事を分割して、それを意志をもった人が期間限定で成し遂げる。そのような仕組みにしていくのかと。

日本の役人たちとこういう議論をすると、「アメリカのような猟官制では行政の効率性、一貫性を維持できない」ということを大方おっしゃられる場合が多い。それが強力な現状維持の力となっていて、また、大企業組織も似たりよったりみたいなところがあると感じる。

官僚という役割を特定の人々に長期間任せない仕組み、仕事を多数の人々が短期間の時間を割いて対応する仕組みを代替案として作り込む。

こういう営みが必要であろうし、インターネットのメーリングリストやウェブなどのn:nのコミュニケーション・ツールを利用することで仕事を分担するうえで必須となる、手順のオープン化、その変更のオープン化、進行状況の共有がずいぶんとやりやすくなっている。

そういうことをスタートさせる・・・、どこからか・・。やはり政治という仕組み、代議制民主主義という仕組みを使ってやっていくのが近道だろう。選択肢を提示するのは「オヤジ達の責任」なのかもしれない。しかしながら、その選択肢を形成していくプロセスを「オヤジ」たちには期待できない。だから自分たちではじめてみる。

という試みをはじめていると中川が感じるのが、平成維新の会をトリガーとして政治活動をはじめた20代〜30代の人たちである。皆、一色で何かを展開するというのではなく、それぞれにカッコ悪くがんばってやってると思う。私は、都知事選で大前研一氏支持で選挙運動員までやった。「おいおい!」という感じでの青島当選の後、政治戦線からは撤退し、投票だけというところに退いてしまった。中川はその程度だ。

しかしながら、この間の都議選で、大田区で地盤、看板なしで闘った猪塚武候補のような人たちもいる。自分達で選択肢を形成しようとしている20代の人がいて、格闘している。

残念ながら、宮台さんが女子高校生たちに注力されているほどの知恵とエネルギーを、このような新たな政治を模索する人たちにあてている社会学者が見当たらない。もしも、いらっしゃるようであれば、一度、その方の著書なり拝読したいと思っている。

970806 phrases by 中川一郎



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