これまで、フォークソングやらロックやらのポピュラー音楽を自らの音楽的インプットとして来たぼくは、在る種の閉塞感に悩まされている・・・ような気がしていた。聴く人の想像力を喚起する音が失われたような気がして、また、音楽表現の在り方としてフロンティアを切り開くという気概が失われたような気がして。
音楽的なイノベーションよりも、プロモーションでのイノベーション、いかに人を感動させるか・・・というよりいかに買わせる仕組みを創るか。こちらの方に勢力が注ぎ込まれているのではないか。そんな気持ちがぼくのなかでいっぱいになっていたのだ。
この分野に限っていえば、もしかしたら、そうなのかもしれない。しかし、この本を読み、そして熱く語られている音楽表現者とのコミュニケーション。そして、ここで示されているさまざまな音源。「失望してんだ」なんてかっこつける前に、ここに展開されているフロンティアをぼくなりに体験してみたい。そんな気持ちをかきたてられた一冊である。
嘆いていたのは、単に無知だったから。嘆く暇はない。この本がフロンティアを開いている。
さまざまな音源が紹介されている。明治から大正にかけての日本。アジア。中近東。西ヨーロッパ。東ヨーロッパ。カリブ海。アフリカ。すごい拡がりじゃないか。ぼくが地球について知っている部分はほんのごくわずかだ。そして、出会っていないビートがたくさん、そこにあるじゃないか。
そして、それぞれの音の背景が丹念に語られ、また、筆者たちのそれぞれの音、そして、そのような音を作り出している人たちに対する熱いものが伝わってくるだ。ここに、ぼくがこれまでまったく無知であったビートへの誘いがたくさんある。音楽的に行き詰まった時、新たなビートを欲する時、その時にはこの本をナビゲーターにしてあるいはライブ・パフォーマンスに、あるいは、音源屋に出かけて見よう。そして、これまで未知だったビートに浸ろう。力づけられることだろう。
「音楽の興味深いところは、非常に鮮明に文化的な固有性を担っているように見えながら、しかし同時にまたやすやすと文化の境界を乗り越えて、異なる文化のなかに伝播しうる力を持っているということだろう。」(p239)小倉利丸氏のこの見解が音の力を示している。
ビートを身体の中に叩き込む。気に入ったビートは何度も何度も大音響で叩き込む。ぼくの音楽の聴き方はそういうものだ。自分の身体のなかにそのビートが確立しえたと思ったとき、ぼくにも新たなビートが伝播し、ぼくから湧き出てくる唄も変化するのかもしれない。
そんな変化の契機を与えてくれたこの一冊に感謝したい。
97019 中川一郎