NAKAGWA's 13th GIG 中川一郎 第13回公然ギグ 97.12.31 plan Bで1998年の朝を迎える



経緯など

中野富士見町界隈に住み始めてから、もう7年近くになる。住み始めた頃から、plan Bという場所は気になっていたけれども、実際に出入りをするようになったのは、1996年3月からであった。

自らの音楽活動を展開するための「場」として。あるいは、音楽活動だけでなく、言論活動等を展開するための「場」として。さらには、自分自身ではとても展開することのできないさまざまな表現活動を感じ、自らの在り方を反省するためのきっかけを得るための「場」として。

97年末。とても有難いことに、plan B恒例の大晦日、年越しのイベントに参加させていただくこととなり、歌を披露させていただいた。

以下、そのささやかな記録である。


ささやかな記録


12.31 1630

plan Bに到着する。マイクを2本立てて、音を出るようにする。それが、ぼくの第1のミッションであった。高さ、30センチ、広さ3畳の舞台ができ上がっていた。川俣さんたちが、照明を仕込んでいた。ゴージャスな照明であった。


1800

身体気象農場の諸君が到着。食が豊となった。

ミーティング。参加者それぞれの自己紹介と、演順を決定。22:30まで、9パフォーマンス。中川は、最初にさせていただくこととする。


1900

中川パフォーマンス。一人で生ギターと歌。

  1. 構造と力(ためいき)
  2. 自動販売機になりたい
  3. 情緒不安定
  4. あの朝
  5. 控えめなラブソング

おしゃべりを交えて、歌う。久しぶりに、20名以上の人々の前で歌えたし、照明も本格的だったように思う。無心に歌った。

この日、ずいぶん後になって田中泯氏より「あらかじめ決められた詩を歌うだけでなく、即興で歌うということをやるとあなたの歌いたいことに合っていくのではないか」という主旨のコメントをいただく。「連歌のような在り方ですね。」「そうです。」というような会話を交した。長期的な取り組み課題としたい。楽器の人たちも、また、舞踏の人も即興ということをやっている。即興の歌はなかなか高いハードルである。思えば、自分の歌は、歌が湧いてきた時に近い形で人前でやるということであった。これはこれでやっていくわけであるけれども、人前で歌が湧いて出る・・・それも自然に。ということは目指すに値する展開だと感じた。

中川の後、

と続く。


2030

田中泯(舞踏)、大熊亘(演奏)-- この二人の事前の打ち合わせは、「大熊さん、真中の方でやってください。ぼく舞台の端の方使いますから」というだけであった。大熊氏は、椅子をひきずりながら音を出す。田中泯氏は、はねる。時折、その音と身体とが同期する。

ぷよぷよ(ピン芸人)--この人の語りとお笑いは久しぶりに触れたのであったけれども、ほのぼのとしたなかにも哀愁があった。

成瀬信彦(舞踏歌)


2200

大串孝二(パフォーマンス)

舞台の上に、白い布が。大串氏は手に、裸足の足にペンキを塗り、絵を描く。大団円は、アルコールをその絵のうえにふりまき、火をつけたところ。闇のなかで、燃え上がる青い炎が印象的なパフォーマンスであった。

モリーン・フィラン(舞踏)

ザイ・クーニン(舞踏)

若松政太夫(説教節) と続いた。若松さんの説教節を聴いたのは今回が始めて。小栗判官の話がはじめてわかったような気がした。


2300

身体気象農場の人たちが作って、用意をしてくれたもち米で餅つき。つきたてのお餅を十分に賞味させていただいた。とてもおいしかった。

この後、「怒りをうたえ」第2部のなかの69年9月15日「全関東反戦集会」のシーンを皆さんに見ていただく。これは中川があることを確認するために、上映させていただいたもの。その確認したかったことは、その場で、このイベントに参加されたすべての方とともに、確認できた。これは大きな収穫であった。

お年玉抽選会。CD、本、そして、身体気象農場の方たちがつくられた農産物が抽選で当たるというもの。ちなみに、中川はかつて「地下生活者の夜 第101話」で使用した黒ヘルメットを出品した。(ちなみに中川が用意したマイクは、この時だけ使われた。司会は田中泯氏。そして、同時通訳は、木幡和枝氏であった。)

カウントダウンの後・・・

灰野敬二氏到着。千野秀一氏到着。千野秀一氏ピアノを演奏開始。大熊亘氏クラリネットで絡む。佐々木征氏シンバルを叩きながら、舞台に登場。樋口恵子氏ヴォイスで参加。さらには、灰野敬二氏もヴォイスで参加。

終了は、05:20であった。

自分がplan Bの近隣に住んでいることの意味合いも大いに感じられた。また、自分の歌に対するポジティブな評価なども聴けた。中川R氏も大根おろしを持ち込み、他の参加者の皆さんにも賞味いただいた。

等々実り多き、97年の年末と98年の開始であった。

今年の大晦日にもぜひ参加したいと思った。さて、どのように在るであろうか。この1年。

98.01.04 中川一郎執筆




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