原作であるつげ義春の「無能の人」を読んだ時に感じたペーソスというものでしょうか、それとも「せつなさ」と呼ぶべき感じでしょうか。あの映画を見た時に、竹中直人氏はきっと同じ感じを抱いて、その感じ方を大切にして、はぐくんで映画にしたに違いないと感じたものでした。妙な親近感を竹中直人氏に抱いたことを思い出します。「ああ、竹中氏もぼくの抱いたあの感じを抱いてこれを作らずにはいられなかったに違いない。」そう感じました。
「無能」・・・映画の脚本、そして原作のなかにもあった台詞ですけれど、以下のようなくだりがあります。これが定義かなと思います。
<以下、シナリオから引用> --------------------------------------------------------- モモ子(中川注:主人公・助川の妻:映画では風吹ジュンが余をもってか えがたい演技をしておりました。)「虚無僧さんて、虚無の僧なのかしら」 助川「仏教に虚無はないよ。由来はよく知らんけど、乞食みたいなもの だろう」 モモ子「乞食・・・・・・」 助川「まあ、一種の無用者だな。高度資本主義社会に順応しない、無用の 存在ってわけだ。」 モモ子「役立たずの、無能の人」 助川「そういうことだな」 モモ子「あんたみたいじゃない。」 助川「・・・・・・・・」 ----------------------------------------------------------- <引用は以上>
この本には、芸能、漫画、劇画の各界の人が「無能」ということに事寄せて文章なり、漫画なりが掲載されています。
鈴木慶一氏のあがた森魚氏との出会いが、鈴木慶一氏のお母さんが引き合わせたものであったというような事実や、「たま」の石川浩司氏が相当なつげファンだということがわかったり、とか。さまざまなエピソードを学べました。
中川は、この本を今年の6月に新宿御苑の模索舎にて入手いたしました。
最近、青林堂周辺がものものしくなっているようで、もしも営業を継続できなくなった場合、この書物が永久にこの世からなくなってしまうのではないかと心配になっております。
ひとつの性格というものを人は24時間、週7日間、12ケ月間続けることはなくって、さまざまな性格、キャラクターがそのおりおりに時を分割して現われる。そういう捉え方をした方が、無用のレッテル貼りとをせず、人と接することができるし、緊張感も小さくて済むのではないか。ということを痛切に感じます。
誰もが何かしら「無能」さをもっている。自分にももちろん「無能」さが確実にある。そういうところを根っこに据えて、日々過ごすと、また、生きることの味わいも違ってくるだろうと感じます。
そのような思いを巡らし、深める契機となるであろうこの書物が、今後、どのような運命を辿るのか。
興味がつきないところです。http://www.honya.co.jpのような仕組みが蔓延して、この書物に寄せられた思いに、さまざまな人が出会って、インスピレーションを受ける。
そのような世の中を実現したいものだと思います。
970815 phrases by 中川一郎