言葉の力というものを、その素晴らしさを大いに感じさせられた一冊だ。そして、新たな出会いと新たな対話とが始まる一冊なのだろうとも思う。
語ることの力、それは自らの生きる様の、自らのあり方の表明だからだ。そして、語りによって表明されていることが、聞き手の想像力を刺激する。その刺激された想像力が、一転して聞き手をして語り始めさせる。対話の力、コミュニケーションの力とはそういうことなのだろうと思う。
「レディーズ・ゴング・ナイト」の対談の中で、ブル中野氏が
私の考えでは、「強くなければレスラーじゃない。頭がなければ上には行けない。心がなければトップになれない。」(p202)
と語っておられる。プロとして生きるということはその道が何であれ、こういうことなのだと心底感心する言葉だ。この本の「活字のライブハウス」たる所以はここにある。「ライブハウス」におけるライブたる所以はここにある。場が言わしめる素晴らしい言語ということ。素晴らしい言語表現を誘発する場であるということ。鑑であると僕は感激した。
また、「ライターズ・デン 中森文化新聞・号外編」の対談において、中森明夫氏は、
僕も「いい文章ですね」「うまいですね」って言われてるうちはまだまだです。「いい」「うまい」って言う側が高見に立っていることばじゃないですか。「すごい」って言われないと。自分にしか書けない事を自分以外の人に伝わるように書く。それがすごい文章の基本だと思います。(p223)
これほど、何かを表現するということの本質を、そして、何をするべきかということを端的かつ明瞭に伝えられる言葉はないだろう。このような素晴らしい言語表現が、し烈に交錯する「場」。それがトークライブハウスの実際の在り方なのだ。
ロフトプラスワン席亭である平野悠さんは、ロフトというライブハウスを通じて、これまでには居場所のなかったさまざまなロックバンドが自らの表現の場所を提供してくださった。僕は、80年に何度か「絶対零度」であの栄光のロフトのステージに立たせていただいた。あの体験は得難い物であるし、そして、あの体験、あの場を通じて得たさまざまな事や、物や、出会いや対話やそして音楽的刺激。僕は、そのすべてを言葉として語り得ているとは到底思えないけれど、僕にとってかけがえのないことであることは確かだ。
情報があふれ、言葉の力や、対話の重さというものが風化し尽くしているように見えた90年代。テレビ番組のワイドショーの言説がすべてを覆い尽くしているように思えた90年代。言葉や、対話が活性化するための場を平野さんは造り、そして、そのことに成功している。
「場」というものには、パワーがあって、僕は、まだロフトプラスワンにどの面下げて登場するか、自分の力量も含めて、まだまだというものを感じる。しかし、いつか。何らかの形で、登場させていただきたいものである。精進を重ねよう。
「ロフトプラスワン」には地引雄一さんが一日店長、オートモッドのジュネがゲストだった時に一度、出かけて以来、すっかり御無沙汰になってしまっている。首都圏に住みながら、出かけないのはじつにもったいないことだ。ちょくちょく出かけよう。
970519 Napa, Callifornia
phrases by 中川一郎