興味本位制の時代 970126


興味本位制の時代 970126

インターネットという新たな人々のコミュニケーションの仕組みがグローバル社会で展開しつつある。このようなコミュニケーションの仕組みは、確実に社会、経済、政治、文化を大いに変化させていくだろう。この変化をどのように捉えるか。先駆者、先人たちによってさまざまな捉え方が行われてきた。それは追々フォローし、位置付けをしてみたい。

人々はなにを動機として、そしてなにを得ようとしているのか。自分なりにこの本質は何なのか。日々ネットを使い、日々ネットに参加しながら、ネットが自分にとって、必要不可欠なコミュニケーション手段として成立するにつれて、我々はどこに向かおうとしているのか。そんなことを自分なりの言葉で捉え、表明してみようという気持ちが湧いてきたのである。

そこで、最近思いついたキーワード。それが「興味本位制の時代」。というフレーズである。多くの人々が価値を認め、そして、さまざまな活動をする時の源泉となるもの。経済が成立するための主要な基準。それは「自らの興味をかきたて、他者と興味を共有し、それが新たな価値を生成する。そのプロセスが社会全体のなかで有する意味合いがどんどん増す。」とりあえず、今(97年1月26日現在)、このように考えている。コンピュータ・ネットワーキングを通じたコミュニケーションの加速度的発展が、このプロセスをよりダイナミックにスピーディに進めようとしているのだ。

これからしばらく、「興味本位制の時代」というキーワードによって、いくつかの考察を行い、社会、時代の断面を明かにしていきたい。

情報の蓄積、共有、加工・分析の在り方 970126

要旨

情報処理、情報伝達がコンピュータネットワークによりさまざまな制約を克服している。しかしながら、われわれのコミュニケーションの仕方、情報の蓄積、処理、加工のしかたは、希少性の時代を踏襲したモデル=編集工程を情報発信者が担うモデルである。その歪み、弊害を指摘し、新たなモデル編集工程を情報利用者が担うモデルの有効性を検討する。

何が希少資源なのか

ネットワーク、コンピューティング、そして読む時間・・・これらは確かについこの間まで希少資源だった。これらのコンピュータネットワーキングのハードが希少資源である時期には、それをいかに節約するか。それが主要な関心となってシステム全体が設計され、その運用も希少資源を効率的に利用するできるよう、規則、制約、ルールが課される。きわめて合理的である。何が希少で、何が希少でないか・・・そこが変化しない間はその通りだろう。しかしながら、コンピュータ市場、ネットワーク市場における競争市場と技術革新は、これまで希少とされていた資源を潤沢にしつつある。

ネットワークの希少性の解消

ネットワーク資源の希少性は薄れている。3年前、銅線の電話網で一般の人が2〜3万円のモデムで送受信できるのはせいぜい9.6kbpsであった。それが1年前、同程度の価格のモデムで28.8kbpsの通信が可能になった。今年(1997年)の夏から冬にかけて、ISDN対応のTA+DSUで64kbpsから128kbpsの通信も可能となるだろう。

CATVのインターネットへの利用、そして、衛星のインターネットへの利用等々も相まって、銅線では考えられなかった一桁、二桁上の速度での通信が可能になる。未来の話ではなく、今世紀中に可能となるに違いないのだ。通信手段としてのネットワークは急速に希少性を失っていく。つまり無駄に使った方が得・・・ということになってくる。

コンピューティングの希少性の解消

コンピューティングについても同様だ。プロセッサーのコスト・パフォーマンスは向上している。メイン・メモリにしても95年に1MBが5千円程度に相当していたのが、現在(97年1月)は、8MBが5千円に相当する。現時点での主力PCのスペックは、マイクロプロセッサーのクロック周波数が200MHz、メモリは32MB実装。これで20万円台のPCを購入といったところ。1年前は、クロック周波数が100MHz程度、メモリは16MB。これが20万円台で購入できるPCであった。

プロセッサーにせよ、メモリにせよ、蓄積装置のハードディスクにせよ、競争市場と技術革新によって、コストパフォーマンスは時間の経過にしたがって向上する。コンピューティングに関しても希少性が解消されていく。

人が情報をプロセスする時間の希少性の解消

ネットワークも希少ではない。コンピューティングも希少ではない。それでは読む時間、情報をプロセスする時間。必要とする時に、必要でないノイズのような情報を処理するのに使う時間、エネルギーの排除。人の時間は所詮、寿命に制約され、だれにとっても一日は24時間でしかない。これをいかに制約するか。

ここにもひとつの答が出てきつつあるのではないか。まだ、これが決まり手というものではないが、潤沢なコンピューティング・パワー、ネットワークを前提として、必要な情報を必要な時に消化しやすい形で届ける仕組みがさまざまな形で現われている。

少なくとも興味のある単語を入力してそれを含むテキストを表示することができる。そういう仕組みはそろっている。NTTではこれらをサーチ・エンジンとしてリンク集をまとめて提供している。あらかじめ登録されたHome Pageを提示するものもあれば、検索ロボットを用いて集めたHome Pageの全テキスト情報を蓄積し、キーワード検索を行う仕組みもある。

現状では、入力されたキーワードと一致する情報をすべて表示するという方式だ。この場合、キーワードを吟味しないと関係するページがたくさん出てきてそれを読みこなすのに一苦労する場合がままある。ここがユーザとしての悩みどころであり、何とかならないだろうかという解を求めるニーズも顕在化している。人工知能技術を使った検索、エージェント技術を使った検索によりこの問題の解決を巡ってしのぎを削る競争、技術革新が今後の焦点となるだろう。

いずれ、この分野においても必要な時に必要な情報を収集し提示するという目的により効果的・効率的に貢献する仕組みが現われるだろう。

希少であり続けること、そして、もの

処理の仕組み、通信の仕組みが潤沢になる。思考をしないで作業に取られる時間も徐々に節約できる。このような状況になると、やはり希少なもの。それは新たな価値を生む知識とそれを誘発するコミュニケーションということになる。

集団で知識を交換し、知恵を交流する。これが今の世の中で新たな価値を生み出す源泉だ。その要となるのがデータ、情報を蓄積する仕組みとそこからデータ、情報を検索し、そこから何らかのひらめきを得た人たちが何かを発信する。それが新たな価値が生まれる過程。人々による自由で、のびのびとしたコミュニケーション、身構えないコミュニケーションが価値の源泉となりうる知識を生成する。

情報、知識共有の新たなモデル

情報処理資源、伝達資源が希少であった頃のモデル--フォーマット設定→フォーマットに準拠する情報発信→創造を犠牲にした効率性

フォーマットの呪縛

かつて、コンピュータ、ネットワークが希少資源であった頃には、データベースにデータを登録する際にはあらかじめ分類されたキーワードにしたがって、厳密なフォーマットに従うことが必要であった。キーワードをあらかじめ指定することにより、コンピューティングを節約する。ファイルにアクセスするための時間を節約することが必須だった。また、ネットワークが希少であったため、伝達される情報量を規制することが必須だった。

しかし、このモデルでは情報処理資源、情報伝達資源を節約するために肝心の情報についてのリスクがつきまとう。まず、当初決めるフォーマット・・・これが将来、未来のユーザにとっても有用であるとは限らない。しかし、フォーマットが決定されてしまったら、もはや、その後に蓄積される情報はその範囲でしか蓄積されない。そして、そのフォーマットで蓄積される情報量が膨大になれば、フォーマット変更は困難となる。後にデータベースを構築しようとする時、結局ゼロから創り直す方が効率的ということにもなりかねない。

現在取り沙汰されている「2000年問題」。過去に決定されたフォーマットを新たに発生する事態に適応させることの困難さを示している。

そして、フォーマットの持つ呪縛も考慮しなくてはならない。現実や経験がフォーマットに合わせて解釈、加工され、それが蓄積されていくのである。そのフォーマットでは汲み取れない多様な意味合いのなかに重要な要因が含まれていることもあろう。しかしながら、登録される段階で、フォーマットに適合しないさまざまな要素が捨象されてしまう。かくして、フォーマットはそもそも、そのフォーマットが決定された時点で想定されていた選択肢しか提示されないような結論しか、導かない。

これからのモデル--フォーマット・フリーな情報発信の蓄積→編集、加工、フォーマットは後で情報のユーザが実施

フォーマットの呪縛からの解放

情報処理資源、情報伝達資源の希少性からの解放が「フォーマットの呪縛」を解決する。情報は、その時に情報発信する人が最も必然性があると考えた形であることが、最も鮮明なはずであり、重要な要素を捨象することがない。フォーマットによる制約は必要最低限に制限されるべきである。

このような鮮明、鮮烈な情報が蓄積されたものを後から加工する。その情報の未来のエンド・ユーザが加工する。これが理想形である。

言い換えるならば、フォーマットに合わせるための編集、取捨選択をフォーマットを策定する時点で行うのでもなく、また、情報を発信、蓄積する時点で行うのでもない。編集・加工は未来、将来の情報のユーザが行うという前提とできる条件が整いつつある。この条件を味方につけるという試みが可能となりつつあるのだ。

メーリング・リストとWebの連携示すモデル

メーリング・リストにおけるコミュニケーションは、チャットや雑談を交え、また、話題もさまざまに展開しながら、進む。時として、雑談の嵐という状況にもなりかねないかもしれない。しかしながら、新たな発見や着想の源泉としてこの雑談、チャットという「場」への愛着を増すコミュニケーション、「場」に対する信頼感を形成するためのコミュニケーションは不可欠である。

テキスト・ベースでの理想形としてはメーリング・リストとウェブの連動である。メーリング・リストでは、的確に運営された場合、チャットの要素や雑談の要素を交えながら、参加者からさまざまな形で鮮明な一次情報や、洞察を経た二次情報を蓄積することが可能である。後から、編集・加工を行う際には、チャットや雑談の要素を切り捨てることが可能だ。

この蓄積をウェブによって行い、そのウェブがキーワードによるテキスト検索機能を備えることで、後にその情報を利用することになるユーザが自ら必要情報を編集、加工できるようになる。ここにデータ・マイニングなどの新たなデータ検索技術が加われば、効率、効果も大きく改善されるはずである。

結語

本小論では、コンピューティング、ネットワーキング関係諸資源の希少性の解消にともない、より自由なコミュニケーションを通じた情報の交流、蓄積と利用方法の方向性を検討した。制約のないコミュニケーションを通じた人々の創造性の発露と鮮明な情報発信こそが希少であり、情報蓄積・加工のモデルもこれに焦点をしぼったものとするべきである。

970126 第一稿 中川一郎





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