癒の顛末

癒というのはバンドの名前であります。バンドというよりは、あるパフォーマンス集団と言った方が正確かもしれません。

94年11月14日。渋谷公開堂で行われた早川義夫さんのコンサートに中川は夫婦して出かけました。中川は早川さんのメッセージに10代の頃に度肝を抜かれて以来、折に触れてジャックスを聴き、「ラブ・ゼネレーション」を読み・・・ということを20年近く続けております。それは、今も続いています。

その早川さんが、25年の沈黙を終了して、再度、音楽を始められ、その集大成とでも言うべき、コンサートがこの日の渋公でのコンサートでありました。

そこで、前列の方で「ニュロマンサー」を読んだ余韻を保ちながら、開始を心待ちにしていたとき、10年ぶりに高校時代の同級生であった笹山照雄君と再会し、その当時、彼の奥さんであったサッチャンに出会ったのでありました。彼等は、まさに中川の座っていた前の列に夫婦で席をとっていたのでした。

早川さんのコンサートが終わって、一緒に食事をしました。その時、笹山君から95年はじめに「地下生活者の夜」というライブのイベントがあるので一緒に出ようという話がありまして、即決したわけであります。

何度か練習をして、何度かイメージ合わせをして、さらには、ダンサーのチカちゃんにも踊っていただくこととなり、あのパフォーマンスは1995年1月4日の午前3時に開始されました。

というようなたぐいのパフォーマンスでありました。その後の事情もあり、また、そのビデオを見るにつけとの想いが交錯し、

「癒」はその後、何もやっていません。

その様子のビデオですが、8mmビデオをダビングしたやつがあります。

「美しい日本の私 癒@地下生活者の夜 第101話 950104」

と勝手に名付けております。ご興味のある方はメールにてご連絡ください。

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