サイバー・レボリューション




マルチメディアという言葉は、日本の文脈では情報通信産業、コンピュータ産業中心に導入が図られてきたように思います。そこでは、技術であり、産業主導のアプリケーションが主な原動力として語られることが多かったと思います。「マルチメディア屋」などと名乗る会社まで出てきたわけですし、国家も未来の基幹産業であると歌い上げた次第です。パソコンにせよ、ネットにせよ、似たところがあります。

このような日本の状況に対する警鐘を鳴らすのが、この共著書であります。福富忠和さんの「対抗文化としてのマルチメディア」は、マルチメディアの思想史とも呼ぶべきものであり、読み応えのあるものでした。

「マルチメディアという言葉はもともと、1960年代に西海岸で行われたサイケデリック・イベントについての呼称だった。」およそ、日本の官庁サイド、産業サイドでは語られることのないこの事実を教えられただけでも、中川にとっては勇気百倍ものでありました。

そして、福富さんは数々の証言を交えながら、極めて実証的にその後の展開を追っています。この時期から発展を遂げた「対抗文化」は、60年代から現在までアメリカ社会にしっかり根をおろしました。そして、パソコンを中心とする数々のイノベーションも、その推進者の意図は往々にして「対抗文化」を自在なる実現を妨げる社会・技術的制約をブレーク・スルーということであったということが示されています。

まだ全部を読了していない段階なのですが、中川にとっての古典となりそうな1冊です。日本において展開されている消毒されたマルチメディア言説に対する重要なアンチテーゼを提起するものとして・・・。

この書評もどきは、「ウッド・ストック」のサントラを聴きながら書いております。

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