フィルモア・ラストコンサート(Fillmore) リチャード・T・ヘフロン監督 72年 米国作品


20年ごしの後悔。20年前に観られる場に居合わせたにも関わらず、ほとんど眠ってしまってろくに観られなかった。その時は、それほど大切なことだとは思っていなかったのが、時を経るにつれて、悔やまれてならず、そして、もう一度、この映画に再会する機会を求め続けてきた。この映画とぼくの関係は、そういうことである。

最初のこの映画との出会い。それは、今はなき伝説的名画座館・池袋文芸座のオールナイトだったと思う。「ウッドストック」だったか、「バングラデシュのコンサート」だったか、「ビートルズ@シェア・スタジアム」だったか。とにかく、3〜4本立てであった。

さんざん音と映像の刺激を浴びた後、明け方であったのが、「フィルモア最後のコンサート」だったのだろうと思う。ぼくは、不覚にもほとんど眠ってしまったのだった。冒頭の開演を待つヒッピー風の人たち。ジェリー・ガルシア。そして最後のサンタナのギターのフレーズ。・・本当に断片のところを観た記憶ばかりが残っていて、とにかく、ほとんど眠ってしまって、このような断片以外のところは、やはり観ていなかったのだろうと思う。

その後に、西海岸のロックの歴史やら何やらや、そのへんを聴く、観るということを続ける中で、その寝過ごしてしまったことが実に大きな後悔になってしまった。だから、たとえば、西海岸に出かけることがあるとビデオ屋を覗き、そのビデオがないかどうか。店の中を捜しては、「ああ、なかった」と肩を落とす。もちろん、東京でも音楽ショップにいくときには、必ず、ビデオのコーナーで捜す。そんなことを続けていたのであった。

なので、先週の「ぴあ」で、渋谷シネパレス(03-3461-3534 ロフト前 三葉ビル7前)のレイトショーで「フィルモア・ラストコンサート」をやると書いてあるのを発見した時。「よし、行こう。今度はちゃんと観るぞ」と気合いを入れて、思ったわけである。20年ごしの後悔に方をつける。そんな気持ちだったのである。

とくにパンフレットの類はなかったのだけれど、ポストカードを買った。また、劇場で配られていた一枚紙の日本語のチラシにこの映画のきちんとした解説が掲載されている。それは、五郎さんのテクストであり、もう、それはパーフェクトなのであり、加えることはないだろう。

で、感想なんだけれど、ロックがビジネスになるプロセスで、そう進めつつも、根っこのところで、まあ、いいんだけれども、なんで、こんなことになってしまって。調整、調整なんだ。バンドの序列があるんだ。俺の好きなバンドを好きなようにやらせるとか、バンドがコミュニティの一員としての自覚をもたずに、自分たちのわがままばかり主張するんだ、おれはもういやになった、疲れた。フィルモアの最後の一週間なんだから、それは、コミュニティの最後のお祭りなわけだから、おい、もういいかげんにしてくれよ。

というような心境なのかなと、この偉大な場を67年にはじめ、71年に閉じると決断したビル・グレアムという人のことを察する気持ちとなった。この人の伝記とか、手記とか、自伝とかあったらぜひ、読んでみよう。みたいなことは思った。

本当なのか、やらせなのか、わからないが、ボズ・スキャッグスとは出演順や看板での名前の順番でえんえんと電話で交渉する様子が、また、サンタナとはそもそも出演する、しない、照明家の手配、ラジオでの放送等々で延々と電話で交渉している様子。それが、サンタナ、デッドのフィルモアにおける歴史的なライブの映像の合間に出てくるわけである。

何というか。自然発生的な出会いがあって、不立文字ですべてを理解しあって、あとは、万事うまくいく。というようなユートピアのような世界はそこ にはなく、ビジネスと同じで、主張があり、妥協があり、説得があり、落としどころ があり、それでも、まあ、何とか進めていく。それは、その場で客から金をとって成 立する、やはり、ビジネスなのであるから・・みたいなところで71年あたりはやっ ていたわけだ。とか。あるいは、もう厳然とバンドのヒエラルキーがあるわけであり、とか。

で、まあ、そんな中でもコミュニティにおけるロックみたいな在り方は、若手のバンド(New Riders of the Purple Sage?)にスライド・ギターで参加するべくリハをやっている、ギグが遅い時でも昼にはやってきてずっとリハをやっているジェリー・ガルシアくらいしかいなくて、あとは、交渉、折衝、説得、おどしすかし、おとしどころになっているよということを、グラアムも語ってしまっているのであった。

すべての矛盾、わだかまり、確執はビートが解決する・・・なんてところはほんの少しはあるんだろうが、71年のサン・フランシスコのビッグネームのロックの本質はこうなわけなんだ。みたいなことが見て取れたのであった。

このベンチマークと照らした時、ぼくが笹山テルオ氏とやっているイベントにも、いや、そういう規模が大きくなり、加われば加わるほど調整のためのエネルギーが必要であるので、あえて、そういうエネルギーの使い方を必要としないしかたにとどまり、余計なことを加えない、必然性もないわけだから・・みたいなアプローチも場のありかたとして、その原初のもっともこうきらめく直観的な何か・・というところにある在り方も意味があるのかも、とか思った。まあ、こりゃ、我田引水、自画自賛は万人の権利だけど誰かが共有してくれる必然性も説得力もないってやつだけれど、

その帰り道に、滅多に訪れることのない今どきの土曜の夜の渋谷をロフト前からハチ公口まで23時くらいに歩くことになったのだけれど、西武B館前の歩道には、10mおきにストリート・ミュージシャンがアンプとかも使ってやってた。バンドと女子2名のフォークとそしてソプラノ・サックスとパーカッション2人組と。そして、ハチ公前では、タブラとかコンガとか、さまざまな打楽器をもった5〜6名の日本人、アジア人、白人がまざったビートのセッションとかあって、とくにそのビートのセッションなんか歌もメロディもないけれど、心に来てしまって、10分くらい、一区切りつくまでそこに立ち止まってそのビートにあたってしまった。

こういう自然発生的な小さい場のできかた。これは、「フィルモア最後のコンサー ト」とはとても対比的であり、この「ストリート性」ってやつ?ここしばらくの間、 キーワードにして世の中を眺めてみたいと思ったりした。でも、ハチ公口。ああいう ビートセッションやっていると、ぼくなんかでも実に居心地よかった。そこに立って いることが全然苦痛にならないってなわけでね。

DVDで3500円くらいで手に入るようになったら、DVDで手に入れようと思っている。いずれにせよ、再度この映画を観る機会に恵まれてよかった。本当。よかった。

99.10.21 中川一郎@サイバー梁山泊    mailto:nakagawa@aa.uno.ne.jp




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