床に仰向けになる。 目を閉じる。毎回、違う夜空が見える。 その夜空を音が横切る。音が見える。 音が彗星の尻尾のような流れになって見えてくる。 Yewさんの時にもNorioさんの時にも今日はこれが起ったのだった。 音がうねりとなるのが閉じた眼の中で見える。 その彗星のような音のうねりがが夜空を広がり、そして、夜空を覆い、すべての空間を光りで染める。 自分の中に沈殿してこびりついたもやもやとしたものを 圧倒的なビートで洗い流す。 ぼくにとっての土足厳禁はそのような場なのだった。 10月25日の土足厳禁。この日は・・ norioさんのDJの生み出したうねりはぼくを直撃したのだと思う。 頭の中が白くなり、気がついたらギターを弾いていた。 いや、たたいていた。 ピックを使わず、コードを抑えず。 ある時は指で、ある時は両の手の平で。 ぼくの身体がもっともその場で反応しやすい回路でもって、 ビートのうねりに感応した。 そして、感応したことを表明せずにはいられなくなってしまったのだろうと思う。 5分だったのだろうか。10分だったのだろうか。 本日の土足厳禁において、そのような時空があったこと。幸せであった。 その5分だか、10分だか・・それは続いたのだった。 土足厳禁は、クラブならざるクラブ・イベントであるけれども、 制度化されたクラブ・イベントでは持ちえない、 多分、クラブの本質の最も重要なところを実現しつづけているのではないかと思う。 音をどのような姿勢で受け止めても良い。 どのような在り方でいても良い。 「●●しなければならない・・」ということではない。 オールナイト・イベントではないから、 オールナイトにまつわるもろもろの煩雑さはない。 ジャンルなるものが決まっているものでもなく、 したがってジャンルによって集まるの人のたぐいが色分けされるものでもなく 仰向けになっていつまでも音を聴いていることもできるし、 食べながらそこにいてもいいし、 回りを気にせず踊りに没頭してもいいし、そのうえ、 そこは舞踏の人々の殿堂であったりもするがおよそ権威なるものと無縁でもある。 約束ごとはひとつだけ。 「土足厳禁」 それだけだ。 「土足厳禁」・・裸足になり板敷の舞台を肌で感じる・・素晴しい時空がそこにある。 「土足厳禁」がplan Bで行われることに、ますます必然性が増しているようだ。
98.10.30 文責:中川一郎