98.10.4の「怒りをうたえ」を見る集いの前前日。ぼくは高沢晧司著「宿命」(新潮社)を買い、読みふけった。読み終わったのは、10.4の午前10時。「怒りをうたえ」を見る集いの仕込みの直前であった。
「最後に確認しておこう。われわれは明日のジョーである」という英雄的な言葉が、あまりにも悲しく響いてしまう・・・その後・・・であった。それにしても、奇遇とでも言えるような書物との巡り合い方であった。
そのできごとの後の記録に読みふけってから、そのできごとの起る前の映像に対峙する。ぼくにとっての10月4日は、そんな日であった。
「怒りをうたえ」は、70年6月までのさまざまな闘争の場面が収録されており、また、全国全共闘結成時の赤軍派の登場などもしっかりと収められているのであるが、「よど号」が70年3月31日であるのにも拘わらず、まったく言及されていなかった。はて・・。そういえば・・・出てこなかった。ということに今気付いた。わかるような気もするが、はっきりと聞かなければ答は得られないのだろう。
70年6月以降・・・、その後に起こったこと。「怒りをうたえ」の第一部の冒頭の国際反戦デーの捉え方と比較すると、第三部は、苦渋に満ちた場面が多かったようにも思われる。そのできごとも含めて、その後、事態はさらにさらに苦渋に充ちたものになっていったように思い、それは、当事者であった方たちには筆舌に尽くし難いことなのであろう。
98.10.4 第二回の「怒りをうたえ」を見る集いをplan Bで開催できた。今回、新たに10名の方たちがあの映像に触れた。今回も一人。相当厳しい状況であったのにも関わらず、最初から最後まで見て下さった方がいた。さらには、若い映像作家が来られた。この集いにきてくださった人たちによるコメントを組み入れた映像作品をつくるために、ほぼ一日、plan Bにいてくれた。さらに、ぼくにも主催者ということインタビューをしてくれた。そのような出会いもあったので「やってみてよかった」と思う。どのように編集されるのか。まだわからないが、何等かの形でその作品を見たいものだと思う。
反省としては、映画上映のための設備が整っていないplan Bのような場においてあたかも映画上映のような形で「怒りをうたえ」を見る形にしてしまったことだった。今年で、二度め。くり返してみて「これは、違うのかもしれない」と思ったのであった。
plan Bでやるのだから、もっとごろごろしながら、ぐだぐだしながら、おしゃべりするのが当然という形でありながら、やる。そういうやり方ができる・・・という気がしている。
今度は、プロジェクタなしで・・、そして、土足厳禁、姿勢自由、出入り自由、おしゃべり自由、ぐだぐだ歓迎・・・という形で、やってみようかと思う。
自分の部屋で寝そべってビデオを見るのに近い形・・・での見る会。これだったら、見る会を呼びかけるにしても気楽なのかもしれない。
「なんでこんなことをやるか」ということをplan B関係者のIさんと話した。
「見て、感じるところがあった。他にも、見て感じるところのある人がいるに違いない。だから、自分でできる範囲で他の人が見れるようなささやかな機会をつくってみたい。根拠はそれだけです。それだけの根拠だけでもそういうことをさせてくれるplan Bはありがたい。また、自分がplan Bの近くに住めていることの意味はそういうところにあるのかもしれません。」
などと語ってみたのであった。
それだけのことで、続けられるだけ、続ける。そういう在り方もありだろう。 9810.08 文責:中川一郎