98.09.23 笹山てるお with バグース木村@荻窪 Rooster


生きているとこういう不愉快なこともあるかなあ・・と思うことがあった。笹山君が曼陀羅でやっていた時、酔って入ってきたパーカッショニストが客席の後方ではずれたパーカッションをたたいたり、女性客にちょっかい出したりしたことがあった。ぼくと一緒にいたYT氏は後に「あと5分続いていたら、椅子で頭ぶんなぐるところだった」と語っていたが、ぼくも「こういう時は一体どう対処したらいいのかなあ」とぼんやりと考えていた。不愉快だった。

その時、曼陀羅のマスター氏は一度演奏を中断させ、「笹山君、ちょっとこのまま演奏を続けてもらうわけにはいかないんだ。ちょっと、ごめん」と言って、そのパーカッショニストを排除にかかる。しばらく言い合い、にらみあいが続いた。

その時、聴衆のなかから、敢然と「ぼくたちは笹山さんの歌を聴きに来たのだ。あんたが勝手に加わるなんて誰も期待してないぞ」という主旨のことを言い放ち、マスター氏とともに飲んだくれパーカッショニストを店の外に連れだした素晴しい青年がいた。その日の笹山の演奏が終り、ぼくは、曼陀羅から出たが、店の外でその青年はパーカッショニストと激論を交していた。素晴しい青年だと再度、思った。

その青年こそは、木村利明氏ことバグース木村さんである。

バグース木村とは笹山君の命名であり、インドネシア語で「素晴しい」ということであるらしい。あの晩の木村氏のことを思えば、「バグース」=「素晴しい」というネーミングは名が体を表わすということかとうなづける。

笹山てるお&バグース木村。Roosterで月1回やっている。バグース木村氏のパーカッションの技は相当のもの。それを感じさせないところが突き抜けている。インドネシア、インド、チベット等々のさまざまな打楽器を駆使して、笹山君の歌に、ギターに何かをinspireされたかのように、展開される。それは、セッションと呼べるのかもしれない。そして、その基底にあるのは、木村君が笹山君の歌の在り方に共鳴していること、愛着を徹底的に感じていることであろう。であるがゆえに実現できる究極のデュオなのだろうと思う。笹山君の歌も屈託がなく、伸び伸びとしている。同行二人というところが根本のところの安定感につながっているのだろうと思う。

  1. ぼくは橋のたもとで釣糸を垂れている
  2. 影が逃げる
  3. 山が燃えている
  4. 一人ぼっちの世界
  5. 嵐が丘
  6. かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう
  7. ポンペイ
  8. 宇宙は一つ
98.09.25 文責:中川一郎



レビューまがい 目次
サイバー梁山泊のwhatsnewへ
メールを出す→