川人 博 「過労自殺」



感銘を受けた記述があった。それは、「全共闘運動」が歴史の中で「参加民主主義」のひとつの現われとして、有力野党の党首が岩波新書のなかで位置付けたという点である。前文「はじめに」に以下のような一文がある。時間の経過もあるだろうけれども、このような位置付けを団塊の世代が相当公然の文脈でなしえたという意味合いは大きいと思う。

戦後の民主主義は当初はアメリカによって「与えられた民主主義」だった。労働運動も学生運動も、社会党や共産党がまずあって、それに指導される形で発展していった。簡単に言ってしまえば、みな「受け身」だった。それが、敗戦から20年以上たって、与えられたり指導されたりという受け身ではなく、国民が自分の意思で積極的に参加していくようになったのが、60年代後半からはじまった市民運動であり、各大学での全共闘運動だったと思う。

「団塊の世代」の政治ウィングを今担っている著者が、今、このような形で自らの来し方を肯定的に表明し、そして、新たな政治パラダイム---国民の意思をより強く反映している政が官を当然のこととしてコントロールする。お題目だけではなく、実体としての副大臣制を導入し、事務次官会議の法的根拠の無さを国会の場で明確にさせ、さらには、所管にとらわれず、国務大臣としての閣議への政策提起が可能であるということを公式の記録に残させた。

政主導、国民主導の国の運営を。行政が政に従うという本来の在り方を。具体的な代替案として提示している。

団塊の世代以降の政治家に期待してみよう。この新たなパラダイムにかけてみよう。これが、どれだけ今の日本という国にプラスになるだろう。

との読後感をもった。

「投票にいったってしかたない」などとシニカルにいう事勿れ。そのシニカルさこそ、行政主導を繰り返させる力だ。政を行政に優先させるという本来の在り方を提示する人たちを見極めて一票を投じてみよう。本当にそうするかどうかを見極めよう。

一有権者として、このような投票行動をしようと思わせた一冊であった。

980903 中川一郎 




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