97.10.23 高橋琢哉 & 国広和毅 @大隈講堂前 → 12.14 荻窪グッドマン


大隈講堂を巡る空間、時間がにじんだ、ぐにゃっと曲がった・・ような気がした

勤務先を早々に抜けられることのできたので、ごろごろできる格好をして、中野車庫前からバスに乗り、中野駅南口で地下鉄の回数券を買って、東西線に乗って、早稲田に向かった。19年ぶりの早稲田。19年ぶりの大隈講堂。物価が安い。外食が安い。量が多そう。コピー代が安い。学生街だ。

「あの、今、大隈講堂が見えるところなんですけれど、どこでやるんですか。」とPHSで高橋琢哉氏の携帯を呼び出して、ぼくは質問したのだった。「大隈講堂なんです。今、ぼく、手を振ってます。見えますか。」彼はそこにいた。PHSとか、携帯とかのおかげで、このような野外パフォーマンスの場所も、見つけやすくなった。

その前日、ぼくはplan B通信の発送作業を手伝いにplan Bに行った。そこで高橋琢哉氏に「来てくださいね」といわれ、「行かねばなるまい」と思っていた次第だったのであった。

この日、大隈講堂では「稲穂祭 早慶戦前夜祭」が行われていた。ブラスバンドと応援団の声が外に漏れ聞こえてくる。それとは、無関係に、若い劇団員たちが、白いTシャツに下だけジャージというスタイルで、台詞の読み合わせを、大隈講堂前の小さ な広場で繰り広げている。不条理な劇のようだ。台詞回しは、いわゆる小劇場系だっ た、典型的な。

芝居の台詞。稽古。そして、講堂からほのかに流れる応援歌。応援団の景気のいい掛け声、そして、ブラスバンドの音。シンバル。大太鼓。それぞれに微かに聞こえる。

そんななかで、国広氏と高橋氏は、セッションをはじめた。国広氏の歌は、つくりものでないのであろう。だから、「娘を取り返せ・・」とか「10年前の記憶」とか。今も耳について離れない歌のフレーズ。どこかの民族を思わせるねばりのある発声による歌。高橋氏のドラや、ギターや、あるいは、叫び声は、打ちあわされたものでもないだろう在り方で、その存在を主張する。

20分ほど。国広氏の歌と高橋氏の音が、芝居稽古の台詞と微かに聞こえるブラスバンドと応援の声に、まぎれた、大隈講堂広場のささやかな「場」で。そこに見える、そこに聞こえるそのすべてに内在するのではないかと思えるようなビートが、ドラムとベースのフレーズが・・・。ぼくの頭の中からあふれてきて、それがとまらない。彼等の在り方が終るまで止まらない。

彼等のそれが終るころ、芝居の稽古も終り、「稲穂祭」も「都の西北」で大団円。学生服のものものしい空気の諸君が大隈講堂から出てきたところ。そこまで見届けて、「今日はちょっと」と言い残して、早稲田駅に向かって歩き出した。


12月14日。荻窪のグッドマンにて。高橋琢哉氏は、10月からはじめた疾走する3カ月のしめくくりのパフォーマンスを3人の歌うたいとともに行う。国広氏、成田譲氏、そして、ぼく・・中川とである。どうやるか。まだ白紙。

その時に、やれるようにしかやれないしやらない。

それだけは、固く決めているのだ。

971101 文責:中川一郎



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