金田善裕「100万ヒットホームページをつくった人々」(アスキー)


久しぶりに一気読みした本がありました。書評というか感想文というかそんなものをしたためてみました。著者の金田さんとは、「ネットがなかったら出会えない」という出会いを96年あたりにしたご縁で、この人のネット系の本は全部読んでいます。

以下、散文、雑文、書評もどき・・です。

【能書き】

その出会い方なんですが・・。

「サイバー・レボリューション」という金田さんが編集された

インターネットによるコミュニケーション 

= 疎外されたコミュニケーションからの人間の解放

という主旨(と勝手にまとめてますが・・)の本を読んで、ノンセクトの活動家まがいのことをしていたかつての学生時代の自分が模索していたParticipatory Democracy 「参加民主主義」とでも訳しますかねえのメディアこそがインターネットだみたいな感じを再確認して、「やっぱり」インターネットと60年代ラディカルスの求めていたことは結びつくわけだみたいな感じだと思って、いたく感動しまして・・・。

当時の本にしては本当にめずらしく、しかし、本の主旨にそって、編者の金田さんのメールアドレスが本に書いてあって、感想を送ったのでした。

それで、金田さんが中川がはじめたばかりのホームページを見てくれて感想をメールでくれたりして。だったら、一度会いましょうみたいな話にもなり、金田さんと何回かリアルにも会って、話してみたら、中川がバンド関係で出入りしていた場にいた人たちとも金田さんが接点を持っていることがわかったりして。(じゃがたらの今はなき、江戸アケミさんと下北沢で一緒にバイトをしていた・・というのはもうガーン!)

という感じの出会い方だったわけです。そして、まだ、その頃はそういう出会い方ができるから、インターネットは凄い・・と思っていたわけですが。

【書肆情報】

【書評もどき】

昨日、第一版第一刷を銀座旭屋書店で最後の一冊を購入し、いっきに読みぬけた。

それぞれのホームページの作者の生き様やインターネットに対する想いが伝わってきた。その想いは、「一万ヒット」の人であるぼくも、あの頃抱いていた想いであった。既存のメディアは自分の意思の届かないところで、自分が表現したいことがふるい落される、あるいは、自分の意思の届かないところで自分の思いを託した表現が勝手に加工される。そのようなことの無いメディアをぼくたちが手にすることができたという喜びであったと思う。

日本にもネット株相場が到来しそうで、「ビジネスモデル」であるとか、「ベンチャー・キャピタル」であるとか、「エンジェル」であるとか、「IPO」だとか、「ストック・オプション」だとか。そして、「ドットコム」。いわゆる新たなビジネスが展開する仕組みとして、また、新たな金儲けのネタとしてのネットのあり方が喧伝される。

たしかにネットユーザは、増大しており、そういうあり方もあるわけだから、そのあり方は実態として実現しつつもあるのだろう。が、何かやりきれない感じがする。ましてや、そのようなビジネスを仕掛ける人たちを英雄として称えるという言説が増えている。その中で、「ネットユーザ」は、仕掛ける人たちが数量的にとらえる客体として、仕掛けられる対象として、操作できる対象として、そして要するに都合の良い消費者として扱われているような気がする。その意図は、やはりものいわぬ都合の良い消費者としての行動を今後も期待しているというエスタブリッシュされたビジネス関係者一同の願いというところなんだろう。ああ、つまんなくなっちゃったんだなあという感じがする。この本を読んだ時にも、そんな白けた感じをぼくはもっていた。

「ネット」というメディア自体の「革命的な何か」に情熱が燃えていた時期がぼくにもあったような気がする。しかし、その後の「ビジネス」化が進む過程で、どこか 違和感を覚えて、ぼくはそのフロントから、歌うというフロント、ギターを弾くというフロント、再生不能、複製不能、その場限りのライブという場に気合いを入れて取り組むフロントを移してきた。その音なりその過程なりを残す仕組みとしてのネットを使うと。結局、「メジャー」がネットで増幅されるけれど、まあ、でもぼくの音源の居場所もないわけではない。そういう淡々とした現実が、今あり、そして、そういうものとしてネットを使う。

ぼくの、メディアとしてのネットへの期待。まったくの別世界というロマンがしぼんで、淡々とした、まあ、そういうあり方もできるようになって、ディジタル技術ありがと・・というところに止まったような気がする。

この本は、そんなネットに対してシラケてしまった、拝金主義のイカサマ・ベンチャー野郎というか、インチキバンカー崩れというか、そんな鼻持ちならない人たちがネットを食い物にして台頭する状況。それを賛美する言説の増大に心の底ではげんなりしていたそんなぼく。

にとって、再度、ネットで自分の想いを発信する人たちの生き様が、その志が、その想いが今も息づいていることを再確認させてくれた。この金田さんの本は、そんな一冊だったのだ。ネットの実相も実はこうなんだろうと。うっとうしい既存メディアとのミックスで増幅されるあの言説と実態は違うんだと。そんな確信。そういう人たちが確実にいて、そして、驚くほどビジネスとか、お金とかと距離を保って、すがすがしく、自分がしたいこととして、自分が納得することだけをやって、それでいながら100万ヒットを達成している。さりげない。淡々としている。その姿は、実に心強い。そして、これこそ偉業だと思えてくる。

このホームページ作者たちをして、このようなことを語らしめる。やはりインタビューをする人と、インタビューをされる人との間に信頼感がないと成立しない。それが成立している。インターネットの原点とも呼べることについて、想いと志とを心の奥深いところで共有しているがゆえに成立するコミュニケーションの産物なのだ。

ぼくにとって元気になる一冊だった。今は音源を仕込むことに注力しているわけだが、また、ホームページをどのように、自分が納得した表現を発信し、そこから新しい出会いなり、深いコミュニケーションなりを展開するか。よく考えてみようという気持ちにさせてくれる契機となったように思う。 中川 拝

2000.2.5 中川一郎 mailto:nakagawa@aa.uno.ne.jp



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