2002.1〜10
2002.10.14 Mon 体育の日
- 言うまでもないが、また24時間任務である。今はわりと気分が悪い。そんな理由や、他人のパソコンがいかに不調かは全然知りたくないと思うが、暇ならどうぞ。
- 事の発端は、自宅のパソコン(P3-650Mhz)のWin98SEが不安定になってきたことである。パソコン買い換えろという話もあるが、せっかくのもらいもののパーツの自作機で、HDDも40GBに入れ替えたばっかり(1年くらい前だが)だし、家じゃメールとIEしか使わないんだからこれで十分だと思ってるので買い換えない。だがMicrosoftの陰謀はそんないたいけな我が家をも襲い、IEで普通にWeb見てるだけで止まったりすることが頻繁になってきた。Windowsはしばらく使ってると不安定になるというのは常識で、それも1年以内にWin98SE自体も入れ替えたりしたのにこれだ。大して使ってないのに。
- 仕事場のノートも2000で快調だし、とWin2000に入れ替えることにした。なんとか借りてきたUSB-HDDも使って、と思ったらこれが認識されない。人がフォーマットしたのを持ってきて繋げてドライバ入れただけなのでよくわかんないが、NTFSなのか?とにかくダメなので、仕事場のノートをLANで繋げて、USBHDD-ノート-デスクトップ、という接続にして、デスクトップからHDDへデータを移す。データといっても2G弱、それもほとんど不要と思われる画像や動画データばかりである。
- なんとか移動して、2000インストールを試みるもCDが認識されたりされなかったり。またごちゃごちゃやってたら、どうもUltra-100という、内蔵IDEを速くするボードがらみのトラブルらしいので外す。しかしこれは専用IDEケーブルを使ってて、普通にHDD繋げるのには使えないみたい。ということは、IDEケーブルが1本足りない。翌日、任務帰りにヨドバシで買う。
- 普通のIDEケーブルを使うとわりとスンナリとインストールできた(1回くらいケーブルの方向を間違えて刺してアレ?という事はあったが)。しかし、画面がおかしい。ズレてる上に解像度が低い。ズレは古いから?どう調整しても右にズレてて端が見えない。2000なのにまともなドライバが入らないのか?ALL-IN-WONDER、と思い、久しぶりにドライバCDを持ってきて入れるも、なんだかわかんないけどCDからはドライバが入らない。おかしい。CDのアプリが起動しないのである。仕方ない、じゃネットからと思ったら今度はプロバイダに繋がらない。ごちゃごちゃいじってたら、どうもモデム(ISDN)の設定で自動になっているのを変えないといけないらしい(詳細忘れた)。でとにかくなんとかネットには繋がるようになり、ATIのページからドライバを落とす。1時間くらいかかったか。
- で、ドライバ入れてなんとか画面の調整もできた。データも書き戻した。と、隣のノートとかもいじってたら、なんかノートの方にログインできなくなっちゃった。。。名前とパスワード入れろと出るが、もともとパスワードは空欄のハズなのに。思いつくままに入れるも全て蹴られる。2時間くらいあれこれやったところで諦めがつき、ノートの2000も入れ替えることに。ここには重要な任務関係のデータが入っており、もちろん僕しか持っておらず、最近半年の仕事の結果が、と冷や汗ものであったが、パーティション切ってあるのでシステム側のドライブのみ入れ替える。データドライブは無傷である。
- なんとかノートの2000も入れ替えた。しかし環境設定が大変。WORDはsymbolを入力するオートコレクトをやり直しだし(なぜかこれが不安定。書式付きで入力するのに苦労)、アプリ、特にATOKとその辞書をちゃんと戻さないと任務の能率がガタ落ちである。というか、専門用語辞書無しではマトモに文章打てなくなってしまう。これについてはさらに、なんか難しい中国っぽい漢字がいっぱい登録してある辞書をくっつけたら、やたら変な字ばっかり出てきて困ってるところ。ユーザー辞書をいじろうかと思ったけど、2万語の登録後を取捨選択するのは、一体どれくらい時間がかかるのであろうか。それ以前に、以前は表示できたその漢字が表示できない。この方法もまたネットで調べる必要がある。
- と、途方に暮れつつ、24時間任務中に直せるところまで直そうと思うが、ここは辺境、ネットがない。持参したCDなんかじゃ足りず、またなぜかマウスカーソルがたまに止まるという、”実害はないがイライラする”トラブルまで発生し、現在対処法を勘案中である。
- さらに追い打ちをかけるように、夕飯はサバの味噌煮である。先日、「目がテン」でやってたが、やはりサバは腐りやすく(もともと分解酵素が多いらしい)、蕁麻疹も出やすい(ヒスタミンが多いらしい)。そんな情報を入手後にコレかよ。でもまぁ、この埃っぽく小汚く臭い辺境の地で無事過ごすためにクスリも飲んできたから、おそらく喰っても大丈夫だろう。とはいえ、こうして書いている間もヒメカツオブシムシみたいな虫が数匹パソコンの上を散歩している。さっきうち払ったばかりなのに、である。この部屋には何かあるのだろうか。
- というわけで、このパソコンいじりはほとんど無意味である。特にノートの方は、ちょっといじりすぎたせいで全部消すハメになり、元に戻す作業に数時間以上を要しているのである。戻しても仕事の能率は上がるわけではない。
- 早く買い換えよう。Celeron400Mhzは我慢できるとしてもHDD4Gというのは、今じゃ頼りない。ま〜どうせWindows使ってる限り、永久にトラブルフリーにはならないだろうが。
2002.9.23 Mon 秋分
- また24時間任務である。先週の任務は夜間・早朝攻撃が激しく、疲労が1週間残ってしまったが、今日はそれほどでもない。今日も突発的攻撃はあるも、ずっと少ないし、友軍もいる。それにしても、こういう日に限って天気が良い。こういう日は外を眺めてはいけない。こんなよい日に自分がこの建物に軟禁させられている事が屈辱的である。別に行って何をするわけではないのだが渋谷だ表参道だ青山だという街を歩いたりするときっと楽しいんだろうなぁ、自由なんだろうなぁという憧れがある。(実際行くと、何かを買いに金持って行くんでなければ空しいものなんだけど)時期的には、これから冬の初めまでが良い。夏はどうも弛緩してしまい、そういう時はもっと雑多な街が良い。小綺麗で生活感の無い街を歩くには、やや寒い季節が良いと思う。海外の都市もそういう感じじゃない?
- それはそうと、現在は趣味というものは希薄になってしまった。やや靴と、特急は思いの外あっという間に引いてしまい、やはり旅行は飛行機だ・どこのマイル貯めようか画策中である。
- 旅行は、やはり南の島である。ぱらいそ志向があるため、都市に行きたいと思わない。島が基本なため、アメリカ西海岸はやや△。フロリダまで行けば○か(カリブが近いから?)。地中海も△(地中、という響きにやや閉塞感)。太平洋にポツン、でもこのまわりは安心、みたいなところでやはりハワイに始まりハワイに終わるのだろう。そのうち行こうと思う。でも遠い。飛行機6時間以上は苦痛である。
- こういう仕事をしていると、休みの使い方が下手になる。日曜日なんだから休もう・今日は1日、部屋でゆっくりしようという事は出来ない。そういう事していると、夕方くらいに焦燥感に駆られ、無意味に外へ出る。せっかくの休みなのに無駄に使ったのではないか、平日は絶対出れないのにもったいない、と焦り、また出かけるにしろおよそ30km以内、1〜2時間以内の半端な近場にしてしまう。だから海外とか行ってもどうも無駄動きとか、ヘンなところでケチって楽しめないと思う。
- もっとこの会社だめ!こいつだめ!みたいにラディカルでやや粘着だが実用的な書き込みをしようと思ったが、勢いでずまたそのうち。
2002.6.17 Mon 停滞?
- もう今年上半期終了は目前。ホームページでありがちな日記的な事を始めて、って覚えてないけどおそらく開設当時からあるとすれば4年以上になるが、気がつけば日記というより月記というような月1ペース。就職後に自由時間が減少するのはともかく、こんな事すら書く時間が無いという事はない。単にめんどくさくなっただけ、プラス、ここで何か書いて意味あるの?という疑問も生じてきた(今更!遅い!)。でも、前にも書いたが『王様の耳はロバの耳』の”穴”なわけで、普段言えない事等を書いてウサを晴らすような事だったら、ぼちぼちでも続くだろう、意味は無いが。
- 元オタクという性質上、常に何かに凝ってないと空虚な心境になってしまう。それは時計に始まり、スーツだシャツだネクタイだ、革靴だボールペンだ傘だと来て、とうとうたまたま買った時刻表(JTBの)から今度は特急に乗りたくなった。旅行したい、というのもあるけど、今時飛行機でも新幹線でもなく特急というのが贅沢な気がして。これまで一度も乗ったこと無いのもあるし。でもこの歳で鉄道オタクにはなれないだろう。
- モノに凝る、というのはそれほど高度な趣味じゃない。作るわけではない、提供された情報から現実の物品を選ぶ・買う・使うといった低次元の趣味、しかし今の自分には丁度良いということだろう。尚、上記のような事は、早いうちに凝っておいた方が、後々深く考えずとも安サラリーマンとは違う格好ができる、という理屈から入ったわけでもある。というわけで、一つ言うなら、靴は難しい。ペンや時計は選択ミスしても一応使えるが、靴は合わないと数万がパーである。しかし合えば、靴の品質で勝負したとすると、例えば電車に乗ってる数百人のうち、簡単に自分が一番になれる(時計だったらタイヘンだ、100万以上のを買わないといけない)。つまらぬ優越感だが、10年も納得して使える品が見つかれば、それは幸せじゃない?
2002.5.5 Sun 子供の日
- GWである。最近、『人生を<半分>降りる』中島義道/新潮OH!文庫 という本を読んでから、すっかりやる気がない。哲学の人が書いた、ようは「やりたくない事は、差し障りのない範囲でできるだけ避け、やらない。どうせもうすぐ死ぬんだ」という本。僕は元からそういう志向だったのか、理屈でも直感的にも納得してしまった。
- この休みは結局、完全休日というのが無い。というのは普段の働きが悪い(と上官に評価された)ため「休みのうちにやれ」という命令が下り、後に「休み明けでもいい」と言われたが、そういう中途半端な気持ちで僕の<貴重な>休日を提供せよと命令した事に対する意地も働き、連日の出勤となった(1日中ではないが)。
- イギリス人は趣味と戦争以外には本気にならない、というような事を聞いたことがある。戦争は知らないが、以前から繰り返し述べている通り、僕は純粋に稼ぐための仕事というのはできればやりたくない。理想的には、生活には困らないだけの金があり、好きなことだけをして暮らすこと。おそらく僕の人生には存在しないが、これが最終理想である。悪い事だろうか?おそらく否定はできないだろう。実現している人は全人類の中でもごく少数であろう。また実現してしまうと、だらだら金を浪費して趣味だけを行うというのは、リタイアした老人のように、すぐに味気ない生活になるかもしれない。仕事こそ<趣味の範囲で>する、というのがいいかもしれない。
- 前述の本の著者は50代くらいからそうしたらしいが、若い時からした方がいいだろう。青年期の時間は、老年期のそれよりもずっと貴重である。完全隠遁生活というのは非現実的なので半隠遁、つまり一般生活が続けられる程度には社会に参加するが、避けられる事・人はできる限り避ける。
- 現代日本で普通に社会人してる人からすると、こういうのは社会的義務から逃げているようで、面と向かってそういう主張はしにくい。現在の仕事を続けるには、少なくとも上官には言えない。「歳をとったらそのうちそうしたいですねぇ」程度でお茶を濁すくらいのものだ。現在からそういう野心を抱いている事を、知られるわけにはいかない。本に書いてあったのだが、古代エジプト?では、自由人というのは1日の3分の2以上、自分の自由時間を持っているという。それ以外は奴隷である。そう考えるとあなたも私も奴隷である。そこらじゅう奴隷だらけだ。自分の人生なのに、やりたくない事をやらされる為に苦労して時間を使うのはおかしい。なんて考えると、たいていの仕事はやる気なくなる。
- もしくは、みんなそう思ってはいるが、生活するために仕方なく働いているのかもしれない。しかし、出世したいという上昇志向はこれに反する。中途半端な出世はおそらく、自分の自由時間を失う方向に働く。いま考えると、自分は3流士官学校卒で今も同様の施設にいるが、これで良かったと思う。1流どころだと、相当な奴隷で仕事一本の人でないと地方巡業にまわされてしまう。自分はそこそこのところで、それでもなんとかここに住んでいられるだけよいと思う。
- また逆に言えば、上昇志向・努力家・仕事熱心な人というのは、奴隷が性に合っていて、むしろそれが趣味で、そうして生きるのが好きなのだと考えれば、自分との違いが納得できる。最後にいちばん笑った者が勝者であるという。たとえ努力の結果出世しても、死ぬ直前に自分の人生を振り返って、ああよかったと思えなかったら人生負けて終了である。ずっとタイヘンでも、老後になってみれば良かったと思うような思考のできる人は、頭の中が幸せである。幸せ回路が発達しているのだろう。僕のように発達してない人は、タイヘンだと思う事は避けたい。今タイヘンでも、後で幸せになるために必要な事は、仕方なくしよう。でも本当にそれが必要だったのか、思いどおりにいったのか、綿密にチェックする必要がある。苦労は無駄にならないだろう、ただし、次の苦労を避けるのに役立った場合においてである。
- というわけで、明日も辺境終夜任務である。サヨウナラ
2002.3.29 Fri 秘密の幸せ
- 今日はちょっと面白くない事があって、正直言って気分が悪い。ちょっと、というから大したことではないのだが、嫌な気持ちになるくらいだから自分にとってはそれくらいの事だ。こういう時は、それに関わった人はもとより、関係ない人も嫌な面ばかりよく見えてくる。だが、世間と自分との関係が全体的に有意に悪化しているとは思えない。同じ現象でも、明るい気分なら良いようにとらえるし、暗い気分なら悪くとらえる。良い取り方をすれば楽しく幸せだが、悪く見ると世の中には楽しい事なんて存在するのだろうか?と思ってしまう。つまり、良い気分でいる・楽しく幸せに暮らすには、自分のまわりにおこる現象を変えるよりも、自分の現象のとらえ方を変えた方が効果的だ。というのは、気分が悪いと何が起きても不幸せだが、気分良く何でもポジティブにとらえるようにすれば、何が起きても幸せを維持できるからである。例えるならば、リガンドの濃度を上げるよりも受容体の発現を誘導した方がシグナル伝達は促進されるということだ(全然わかりにくいが)。
- ところで、自分が今何をしているか、自分以外の誰かが常に知っているというのはストレスではないだろうか。家庭があって、ごく普通の会社員をしていると、おそらくプライベートな時間というのは皆無に近いだろう。会社にいる間はもちろん、何時に会社が終わって、ちょっと寄り道するにしても何時頃帰るとか、休日は家庭があれば純粋に一人で出かけるというのはそれほどはなさそうである。僕はこれが怖い。昔の魔法使い(悪魔だっけ?)は、自分の真の名前が人に知られると魔力を失ってしまうと思われていたそうだが、それに近い。自分しか知らない秘密の何かをする時間というのがないと、全く平板な人生になってしまうような気がする。自分がした事を知られているという事は、もはや人から自分の行動が予測されており、自分の知識や技術や経験が全て知られており、その観察者の予測を超えるような行動は出来ないという事である。極端な事を言えば、ある人の行動のひととおりがわかれば、その人を脅したり騙したり、時には殺したりするのもそれほど難しくない。と、このように秘密が無くなってしまう避けるには、一人で暮らすか、家庭があっても休日に一人でこっそり出かけてゆくような事が必要なのだろうか。
2002.3.14 Thu ちゃんぷるるー
- すごいね、2ヶ月放置。ま〜ボールペン関係はちょこっと書いてはいるけど。そもそも個人のHPって、相当ネタないと、HP作る事自体が目的になってて、内容無いもんだから日記とか書く事が多いんだけど、結局知り合いがたまに見てあーそーとか思ったりするダケ。当HPの場合も、ほとんどネットの人にしか教えてないし、あんまりサーチエンジンにもひっかからないようにしてるし(技術はHP開始当時のまま)、そういう山ほどあるど〜でもいいHPとほとんど違いがないように思える。でも、ひとと面と向かって『ムネオ逝ってよし』とか話すと、これはいいんだけど、『ガッカイ関係者とは友達になりたくないよね』とか『ロレマニアは終了してる』とか言うとイロイロ問題も多いので、こういう場を借りて発散しているところが大きい。だから、HPは中途半端な知り合いには教えてはいけない。
- 先日、近所の沖縄系居酒屋でゴーヤチャンプルーというものを食べた。なんとなく、いかにも名物食いにきました風だとカコワルイので「チャーハンみたいなの、ある?」って言ったら、そこらへんの主婦が作りそうな本当にフツーのチャーハンが出てきてややシオったが、食べてみると意外にうまかった。で問題のゴーヤチャンプルーだが、知らない人のために解説すると、ゴーヤというのはニガウリで、チャンプルーというのは炒め物の事らしい。そのゴーヤとソーセージと豆腐の炒め物が出てきた。豆腐はその店オンリーなのか、一般的なのかは不明。ゴーヤは、苦いのはいいんだけど、生アロエみたいな青臭さにはやや参った。
2002.1.15 Tue no change
- とりあえず日記は続けてみました。単純だけどちょっと面倒で洗練されてない形、番号はそのまま続けて***である。まぁ、困ったらいきなり消して作り直せばいいか。
- 年明けだからどうこう、という事はありません。
[BACK]