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富士山頂からのご来光 


 

 1998年の年頭に当たって

 

自給組合準備室・森本 優 (1.2.98)

 

 1998年を迎え、私たちは更なる混迷の時代をどう生き抜くべきか、鋭く問われてきているといえます。様々な分野で物質文明そのものの歪みが露呈され、人類そのものの衰退、そして滅亡さえもがはっきりと視野に入るようになって来ています。そのような人類史上の激動期を生きている私たちは、まず自身が置かれている状況を正確に把握し、その上で個々人がどのように生きていくべきかを、それぞれ問いかけ直す必要があるのではないでしょうか。

 今回は、以上のような意味も兼ねて、以前書いたものに加筆し、ここに私なりの現状認識を皆さんに提示したいと思います。多少なりとも、その問いかけの参考になれれば幸いです。


『現経済システムの崩壊とその後の課題』

 

 現在全世界各地で起こっている様々な動きを総観し、その中から一貫した流れの下で生起して来ている事項を抽出して、まず一体如何なる力が働いているのか調べて見る必要がある。

 それを土台として次に、その力の下で描かれた世界支配に至るシナリオの概観を、私なりに推測し提示してみることにする。その上で最後に、そのシナリオを如何に転じて理想社会を創り出してゆくか述べて見ようと思う。

 

一、世界支配のシナリオ

 ここ十年、急速に東西緊張関係が緩和され、共産主義諸国でも軍事優先から経済優先に方針が変えられてきた。一方、西側資本主義諸国では、新自由主義が台頭して世界的な流行となり、国営の重要産業が次々と民営に切り替えられるなど、構造的により自由競争の面が強調されるようになってきている。また、資本のそのものの性質が強く発現され、貿易と金融の自由化・規制緩和等々、徐々に経済的国境が撤廃されようとしている。

 以上のような状態がなぜ起きてきたのか、ここで簡単に説明する必要があるだろう。( 詳細は拙論「 私有財産の起源とその発展」 参照)

  即ち、封建時代末期に産業資本家層が生まれ、封建的諸特権と対立したが、彼等の或る者達に、貨幣(黄金)を手段として全世界を征服支配しようとする意欲が芽生えてきたと思われる。それは、封建君主や教皇のそれに取って代わり、新しい経済支配システムを全世界に作り出すことになる。彼等は、自由・ 平等・ 博愛等の理念を一般大衆に吹き込み、既成封建支配システムに対する不満を醸しだした。そして封建君主から奴隷を「解放」 し、今度は、今までの保護者を失ったその者達を賃金労働者として、再び更に過酷な隷属状態( 即ち己等の指向する経済支配システム) の中へと陥れることになる。

 さて、その段階に於て奴隷の再編成は、封建君主が領有する地域のレベルから国家のレベルにまで引き上げられて成されたが、現代ではそれが、国家の枠を越え出た地球的レベルで成されつつあると言える。

 即ち、自由民主という理念の下で巨大に膨れ上がった資本が、全世界の国々を事実上無効にして、それらを強大な世界支配秩序の中へと投げ込む。その為、今まで国家という枠の中で従属を余儀無くされていた人々は、今度は形式上己の属する国家からは「解放」 されながらも、というより、座礁した国家から無理やり投げ出されて、その国家と言う船を失ったまま、今度は、何にも頼ることの出来ない隷属状態へと再び陥られることになる。(但し、経済の発展が順調に進み、物質的豊かさに満足している限りは、その支配秩序にはあまり注意を払うことはないだろうが・・・。)

 確かに自由民主という理念は、一見するとそれ自体「絶対的真理」 のように思われもするが、然し歴史上それは、既存の支配体制を崩す為に必要とされた。そして更には、個々の果てしない欲望を正当化し、その欲の下で、新たな世界支配秩序を完成させる為の理論的支柱として機能することにもなった。

 いわれなき隷属状態から逃れようとするのは、如何なる生命に於ても当然のことなのであり、その為自由民主の理念を掲げることも当然必要なことだった言わねばならない。然しその理念は、あくまでも時代の要請であり、その歴史上果たした役割を適切に評価しなければならないだろう。

 既存国家や体制を打ち砕いても、その後の世界的展望がない「革命」 は、必ず新たな地球的規模での支配秩序へと収斂されてしまう。そして全世界の一般大衆は、己等の属する国家からは「解放」 されながらも、再び強大な新世界支配秩序の中に組み込まれてしまう。そしてその世界再編成の後には、世界における唯一の最高権力が全世界の人民を奴隷として支配し君臨するようになるのかもしれないのだ。

 

 以上、歴史的展開の中で、地域的な支配関係から国家内のそれに至り、やがてそれが地球的規模にまで膨れ上がって、いよいよ極点に達せんとしているのが見えて来るが、以上のことを踏まえて次に、近未来において何の様な過程を経てその世界支配が完成するか、検証してみなければならない。

 即ち、その理念と現経済支配システムの下で、全世界の金融・エネルギー・食糧・情報等を支配・管理して事実上諸国家を従属させていく。前回は封建君主や商人等の諸特権が攻撃の的であったが、今回は国家という枠の解体が中心となる。

 このように、国家を実質的に解体していき、或る時期に、エネルギー危機・飢饉・天変地異等の、何らかの切っ掛けから金融パニックが世界的規模で起きると、その自由民主という理念に基づく現経済システムは急速に崩壊し出し、一気に世界専制支配体制が準備され出すだろう。その時全世界の人民は、唯一の防御堅だった「国家」 を失って政治的混迷の中で流民化しており、疲労困憊の極に落とされているため、彼等を「保護」する体制秩序が現れるなら、喜んでその「保護」 を求め従属することになる。そしてその支配勢力は、全世界の軍隊を抑え事実上世界専制支配体制を完成させることになる。その場合、「分かち合い」という表現で、統制経済が敷かれ、配給が行われる。

 ところで、重要・基幹産業が次々と自由化・民営化され、また外国の資本が凄まじい勢いで流れ込んで来ている等して、そのグローバルな経済システムの波に直接呑み込まれつつある日本は、そのシステム崩壊と同時に、再起不能になるまで叩き潰されることになるだろう。

 

二、現経済システム崩壊後の課題

 地域的な支配関係から国家内のそれに至り、やがてそれが地球的レベルにまで広がっていく。然しながら、遅かれ早かれ極点において、その支配も崩れ落ちていく。( 陽極まって陰に転ず。) そして、もし人類が生き残るとするならぱ、大・中・小の様々な共同体・協働体が世界各地に分散することになる。これが原理的なイメージである。

 ところで、再びそれらの内に支配関係が兆してくるなら、やがては同じ様な過程を踏んで、より広範囲での支配体制を作り続けていくだろう。従って、その現経済システム崩壊後の課題として、分散する共同体・協働体内に、支配関係を許さないような準備を今の内に整えておく必要がある。それが地域協働社会連合体構想である。(「なぜ自給組合なのか」参照)

 さて、現在様々な意味で破綻が生じてきている。この破綻が決定的になり混沌とした状態が現出されて来た今こそ、理想社会への道を辿れるか、それとも強固な世界専制支配体制に持ち込まれるかが決定される重大な分岐点と言える。

 即ち、金融パニックと政治不安の中から、一挙に全世界人民を支配統治する最高政府機関が水面下で形作られてくるかもしれません。全世界の金融・エネルギー・食糧・情報等を事実上抑えるなら、金融大恐慌・エネルギ一危機・食糧不足等が演出・利用され、統制管理された情報網の中で、それらの危難に対処することのできる世界最高機関が急速に力を持ち出して来る。そして、世界各国の軍隊を傀儡政権を通して抑えることが出来るなら、最終的に世界専制支配体制に持ち込むことも可能となる。

 もし、世界の人々が代替社会を準備することなく、この経済支配システムに身を委ね続けるなら、必ず強固な専制政治にもつれ込まれる。然し、もし地域の自立と自給を前提とした地域協働社会連合体を、全世界のそれぞれの共同体・協働体・組織・個人等と連携を取りながら準備していくことができるなら、私たち自身の自立の足場を作ることができるはず。そして、現経済システム崩壊後において叫ばれるであろう「分かち合い」は、この連合体では統制経済による配給ではなく相互扶助そのものとなる。

 ここで注意しておかねばならないことは、世界専制支配体制が成立する場合と外見上ほとんど同じようなことが言われ、行われることになるが、その内実は全く異なっているということ。即ち、この連合体においては、構成員間及び地域協働社会間での日常的な繋がりの中で、自発的な相互扶助関係が培われているからである。

 

三、なぜ農業(第一次産業)か

 今まで「革命」が論じられるとき、その中心的な主体は都市労働者であった。しかし、資本と労働者との対立は、物質的な豊かさをどのように分配するかといった同じ土俵の中で行われているため、状況次第では労働者は、その物質的豊かさを守るため資本と一体となって、進んで周りの環境を汚染し、第三世界の人々と自然を搾取し破壊することに荷担する。また、国内の非能率的な産業を切り捨て、国内の食糧安全保障を海外との自由貿易に委ねようとすることにもなる。

 しかし、人間の生存の大前提は、清浄な水と空気、そして汚染されていない食べ物などの自然環境である。そして、万が一の場合にも自らの自立と尊厳を保つために、私たち自身は地域内で自給できるものは自給していくのが当然の姿なのだ。

 現経済システムの流れに呑み込まれたまま国際分業によって食糧を海外で生産させ流通させていたのでは、その経済システムが崩壊した時、日本は自立の基盤を持ち得ないまま、かの世界専制支配体制に従属せざるを得なくなるだろう。(政府・官僚は既にトータルな意味で日本の真の自立ということを放棄してしまっている。第一次産業を犠牲にした工業・ハイテク立国はその従属の種を蒔いているようなものだ。)

 私たちが準備していかねばならない代替社会では、自らの自立を確保するため、第一次産業を土台に据え、工業・ハイテク産業等もバランス良く整えていく必要がある。その場合、利潤追求のために不必要なもの(ゴミ)を大量に作り出すようなことはせず、必要なものを必要な時必要なだけ作り出すことになる。

 

四、なぜ政治活動か

 以上のような代替社会を準備していくためにも、農業者及びその応援団が核になって、そのための政治基盤を作っていく必要がある。今の政治では、グローバルな経済システムに追随し、日本の自立基盤を崩壊させる方向に舵を取るばかりで、私たちの意見は結局は通らずじまいになっている。

 同じような思いを抱いている有権者は多いはずで、無党派層の数はどの政党支持者数より一番多い。そして、その内のかなりの数が、単なる政治的無関心層というわけではなく、現在の政党政治に絶望し若しくは期待できないためによる。政治的に高い意識を持つがため、その無党派層に入らざるを得ないというパラドックスがここにある。

 経済のグローバル化が進んだことにより、地域的な破綻が全世界を揺すぶることになる。投機に関係した実体のない巨額の資金が、世界の実業としての経済活動を翻弄し、金融不安が広がっているが、今後何らかの政策上の失敗もしくは天災等により、更なる社会不安と政治的な混迷状態に陥る可能性は充分ある。

 バブル崩壊前のような順調な経済状態があって初めて、自民党による長期政権が可能となったのであるが、バブル崩壊後の経済状態の中で様々な変動が起きているのは承知の通り。(一説にはアメリカのような二大政党による政権交代を目指しているらしいが、問題は、そのような二大政党を生み出せるほどの社会状況・経済状況が今後続くかということで、今のような状況では政治的な混迷状態が続くことになるだろう。)

 国民不在のまま政党間の離合集散劇を繰り返せば繰り返すほど、国民の政治に対する不信感は募り、更なる自覚的な無党派層は増える一方となる。(支持政党がある人たちだって、しまいには嫌気がさしてくる。)そして議会政治そのものの崩壊を加速させることになる。

 このような国民と政党政治との乖離は、いま日本の進路をどのようにするのかという極めて重大な問題が、国民不在のまま、国民を真に代表しているとは思われない政治家と官僚、そして経済界(現経済システムの代表者)の意向とによって、決められているという事実と表裏関係にある。

 しかし、単なる政治理念だけでは、大衆の支持はなかなか得られるものではない。日常的な生活・経済活動を立て直しながら、人と人との回路を繋げ合っていく地道な努力が求められている。そして地域にとって、そして地球環境にとって、本当に必要な事業を各地域で立ち上げ、支援していくことが、代替社会の土台を準備していく上で重要になってくるはず。

 そのような作業の中で、代替社会を目指す理念のもと、それに共鳴して頂ける人達を結び付け、第三勢力を民衆サイドから準備していかねばならない。そして更には、その代替社会を希求する全世界の人達とも協力し合って、地域協働社会連合体を準備していかねばならない。それは、今後いかなる困難な状態にあっても、私たち自身が地域と己自身の生に対して誇りを持ちながらその困難を乗り越えていくためには、どうしても必要なことなのだ。

 

おわり

 

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