純江さんからの贈り物 A |
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木下純江さんが三三歳の若さでこの世を去ったのは8年前の3月、桃の節句の日だった。第二子を身ごもっての妊娠中の病気が原因だった。物置の片隅の小さなダンボール箱に残されていたもののひとつ「たった一週間の日記帳」には、彼女の言葉が輝いている。まるで私たちへの心の「贈り物」のようだった。
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「心から信じられる人に出逢いたいと思ったら、
心から信じられる人に自分がなることです。」他人を信じることは難しい。いくつもの苦い経験が信じることを用心させるからだ。だが、人はいつも心から信じ合いたいと願い、普段はそのことに無意識で暮らしている。 世の中は不思議なものだとつくづく思うことがある。純江さんの日記帳にあるように、こちらが澄んだ水を求めれば、案外似たような考えの人が寄ってくる。「類は友を呼ぶ」という格言があるように「信じられる人」もまた例外ではないだろう。できれば澄んだ水に住みたいものだ。
音楽と絵と涙
「泣きたいほど嬉しい時って、どんな時?
それは、人の心の健気さに、
じーんと、胸を打たれた時。
じーんと泣けてくる。」もう十年前になるが、ソ連が崩壊して間もなくの頃ロシアからある交響楽団がやって来た。私は友人に誘われて六本木にあるサントリーホールにその演奏を聞きに行った。
一部と二部で構成された演奏会は、第一部が始ると「さすが国家の庇護(ひご)のもとで充分な練習と技術を身に付けてきた彼らの実にまろやかで洗練された演奏だ」と感心させられる思いだった。音楽にあまり詳しくない私は、その曲を聞きながら、洋画家・小磯良平の整いすぎた絵を思い浮かべていた。
第一部の演奏ですっかり退屈してしまった私は、もう家に帰りたかったが、友人と一緒なので第二部もそのまま聞くことにした。そしてそれは思いがけず実に素晴らしい空間との出会いになったのである。 祖国と共に大きく情勢が変わってしまった彼らが、自分たちの浮沈をかけて日本に演奏にきたのだという、奏者たちの真剣さが伝わってきた。 第一部とは打って変わったテンポの早い曲が自由さに満ちて、それはまさにセザンヌの描く静物。演奏が進むにつれて奏者たちの健気な(けなげな)気持ちがジーンと伝わってきた。 そのとき私はブラマンクの生き生きとした花の絵を思い浮かべていた。自由になったとはいえ国家の庇護は受けられなくなった彼らが、この演奏にかける意気込みが私の心を深くとらえた。目を閉じて聞きながら、私はポロポロと止めどなく落ちる涙をどうすることもできなかった。音楽でこんな風に泣いたことは初めてだった。こんな泣き方もあるのかと思った。傍らの友人はそんな私にびっくりしていたが、やはり彼らの演奏には深く打たれたようだった。 純江さんのこの言葉はそんなことを思い出させてくれた。
(大野彩子)