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[2001-09-10 新聞 第10号より]
   純江さんからの贈り物   

「たった一週間の日記帳」に
生き生きと 走った短い一生

木下純江さんが33歳でこの世を去ったのは7年半前。第二子を身ごもって の妊娠中の病気が原因だった。 小さなダンボール箱に詰められていた ノートや紙には、彼女が残していった言葉や作品が輝いていて、 まるで私たちへの心の「贈り物」のように思えた。 (大野彩子)


純江さんの実家、根津神社(文京区)の近くにある「夢境庵」に、友人に誘われておそばを食べに行ったのは三年前のことだ。おそばの味も勿論だが、デザートのそばぜんざいの味は格別だった。数回訪れるうちに自宅に案内してもらうことになった。不思議な縁だったように思う。純江さんが残した作品の数々を、テープに吹き込まれた純江さんのピアノ曲(本人作詞・作曲、演奏)と歌声をバックに、見せてもらった。漆工芸作家を父に持つ純江さんは、絵が実に素敵だったが、文字も言葉も音楽もまた素晴らしかった。純江さんの書いた絵本もあった。「一瞬のうちに 信じるもの」と題されたその絵本の冒頭に「著者、きのしたすみえについて」というのがある。 そこには次のように書かれている。

「平成六年三月三日。
  桃の日に三三歳の若さで花びらのように散っていく。
  彼女の人生観、宇宙観、生き方のすべてが、
  物置の小さなダンボールから発見された。
  そのひとつ、ひとつが光の言葉で埋められていた。・・・・・・・」

ダンボールに詰められていたもののひとつ、天女のような純江さんが書き残した日記、「たった一週間の日記帳」には、彼女の素直な思いがあふれていた。その言葉のひとつひとつが、私たちへの贈り物であるように思えた。研ぎ澄まされた感性で語りかける愛のメッセージ。二八歳の六月の一週間という短い期間に書かれた百枚を超える毛筆の言葉。そのいくつかを、数回にわたって紹介したい。

「たった一週間の日記帳」から

本当のものをみつけた時、
  心がスコ―ンと
    空に抜けていくようです  

抜けるような夏の青空。
麦藁帽子の影と歩く砂浜。
裸足に当った小さな貝を拾った。
思いっきり海の彼方に投げてみる。
スコーンとすがすがしい。

もう十年以上前のことだが、私は「本当のもの」に出会って、身震いした。それは異国で見たピカソの一枚の絵。その感動は私の人生観を変えた。しかし「本当のもの」は、それほど大げさなものとは限らない。案外そこら辺に転がっていて目立たないものかも知れない。例えば海辺の貝のように。そんなことを気づかせてくれる純江さんの言葉。

そんな生き方をしたい

純江さんの日記の中で、私が大好きな言葉がある。それは次の言葉だ。

肩ひじはらないで
   それでいて
     真剣勝負
      そんな生き方をしたい  

死を見つめたときから、生きている毎日が真剣勝負。そんなことを教えてくれた友人がいた。その友人も今は亡き人となった。 彼女と知り合ったのは浦安のあるサークルでだった。明るく積極的な人だと思った。ある日、彼女が病院から帰って沈んでいたところへ、私は偶然電話をした。電話の向こうの彼女の様子が変なのでたずねると、医者から癌の再発を告げられたという。三年前に首のリンパにできた癌の再発だった。その彼女は話の最後につけ加えた。「私の病気のことは決して誰にも言わないで欲しい。元気な人が私より先に死ぬことだってあるわ。特別扱いされたくないのよ。自然に暮らしたい」

彼女はそれからも明るく自然で積極的だった。そして、小さな一枚の花びらにも目を留めて、かすかな香りを楽しんでいた。

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