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[2002-02-11 新聞 第11号より]
元 現業評議会議長
      伊藤俊吾さん5周忌      


在りし日の伊藤さん
浦安市政を裏から支えて
賃金・職場環境で成果

高度経済成長の1980年代から90年代にかけ浦安市職員組合現業評議会議長だった伊藤俊吾さんは六五歳でガンのため他界したが、この春には五周忌を迎える。「生活保護」にさえ届かなかった低賃金、職場環境問題など浦安市の下積みのほとんどの問題を手がけた伊藤さん。対話を心がける姿勢は希望の星だった。


浦安市の現場の作業を預る現業職員はかつては組合もなく、低賃金できつい仕事をしていた。月給を家に持って帰ると浦安の給料は低くて「2回に分けているのかい」と妻に言われた人もいる。昭和五九年、浦安市職員組合の中に現業評議会が設立されると伊藤さん(清掃作業)が初代現業評議会議長に選ばれた。彼の持論は「よい仕事をするには職場環境をよくする」ことだった。公務員の給料は民間の中小企業の目安になっており、公務員給料をアップさせれば国全体の働く人の給料を上げることにつながる。

浦安市職員組合現業評議会

 現在浦安市の職員は全部で1300人余り、そのうち消防の職員が約200人、管理職が約100人。それ以外の一般職員(約800人)と現業職員(約170人)が職員組合を作っているが、9割近くが組合員だ。いわゆる事務系職員が一般職と呼ばれるのに対し、現業とは現場の作業員と言う意味で運転手、学校給食センター調理員、幼稚園学校用務員、清掃作業員などがこれにあたる。今、浦安市の現業の給料は長い交渉で千葉県内ではトップクラスだ。 伊藤さんは死ぬまで自分のことは考えず他の人たちのことに気を回していた。そういう人柄だった。「一人じゃ無理だけど、人がまとまれば出来ることを伊藤さんに教えられた」と組合の人たち。人の話をよく聞き、勉強家だった。「オヤジ」と呼ばれみんなから慕われてきた布袋様(ほていさま)のような彼がすい臓ガンで亡くなったのは、平成9年3月1日。65歳の誕生日を目前にしてのことだった。今でも伊藤さんを慕う人たちからはこの春の五周忌に「伊藤さんを偲ぶ会」を開きたいという声が出ている。

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伊藤さん
    悩みを一緒に考えた    


[写真説明] 中央後方が伊藤さん   
 
他界の時は手を振って
ダンスには華やかに

初代現業評議会議長 伊藤俊吾さん

いかにも魅力的な人だった。どこへでも出かけて対話をした。悩みの相談に気軽に乗った。現業評議会議長の伊藤俊吾さんは、そんないかめしさは似合わない。酒が好きでダンスをこよなく愛した。議論をしても、いつの間にか伊藤流に巻き込まれる。そしてガンで息を引き取る一寸前には手を振って別れの挨拶。何をしても「決まって」いた。
 


 「いい湯だな。さっぱりした」と風呂が大好きだった伊藤さんは、ソシアルダンスを踊るモダンで温厚な人だった。昭和6年福島市で四人兄弟の末っ子に生まれたが2歳のとき母を亡くし祖父の家で育てられた。戦時下で少年期を迎える。小学5年とき軍需工場で機械に手をはさまれ大ケガをした。接骨院に3年間通ったが、傷跡は残った。中学を出て実家の履物屋を手伝った後上京。江戸川区の運搬会社に16年勤めた後浦安市に現れた。

みんなと対話
 昭和59年「現業評議会」ができるまでは、運転手を除く現業職員には組合がなく、賃金は低かった。幼稚園や小中学校の用務員は女性がほとんどで、しかも一人職場(他の市町村では大部分が男性)。伊藤さんは昼休みや夕方職場を訪れ彼女たちの悩みを聞きながら組合の必要性を丹念に説いて回った。これまであった職員組合の中に、現業の組合「現業評議会」を立ち上げる時伊藤さんが、設立準備会での活躍に加え地元民でないという理由で議長に推された。設立総会の日、会場(文化会館大ホール)は大勢の人で埋まった。みな感激した。

伊藤さんの活躍
 彼が議長に就任後は、バブルの絶頂期と重なって、いろんな改正を次々と繰り出した。生活保護費より低かった現業職員の給料アップ、一般職の給料表との一本化、学校給食臨時職員の段階的正規採用など。平成7年の退職まで、自分のすることが少しでも活用され感謝されることを生甲斐にした。「これからはワープロの時代がくる」と手習いのワープロを駆使して精力的だった。

活躍の影に
 自分がやればやるほど他の人と力のこめ方が違う、でも自分がここまでやらなければ組合員を守れない、そんな悩みや、時には要求どおり進まず、大きな組織の狭間で苦しんだこともあった。でも地道な活動ができたのは、議論や作戦だけでなく苦労人で魅力ある人柄だったからで、周囲を巻き込んで一つの運動体にしていけたようだ。当時の仲間たちは伊藤さんの話になると涙ぐむ。
 「いいオヤジだったなぁー。ホントのオヤジが亡くなった時も悲しかったけど伊藤のオヤジの時も涙が出てね」
 「兎に角、やさしいのよ。私たちの相談に親身になって聞くんです」と女性の現業職員は言う。

仲間との別れ
 「病気が直ったらビール飲もうね」という仲間の励ましに頷いた伊藤さんは自分の病気がすい臓ガンだと知っていた。亡くなる間近の病室で、仲間に手を振り別れの挨拶をした。若き日に人を信じ裏切られた結果か「性悪説」が口癖だった伊藤さんだが、「人間て結構いいものだぞと思ってくれたんじゃないか」と組合活動で苦楽をともにしてきた松本義継さん(現業副議長)が言った。「いい仕事をするにはいい職場環境」が伊藤さんのモットーだった。
(大野彩子)

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