サラリーマンをしながらCBSソニー出版でゴーストライターのアルバイトをしている頃、編集者に「小説を書いて下さいよ」と言われて大喜びで書きました。全編書き下ろしのSF短編集。それ以前に朝日ソノラマ文庫で何冊か出していたけれど、これは初めての大人向けだったので、一般にはデビュー作と言われています。二ヶ月くらいかけて、日曜ごとに短編小説を書きためるのは大変な労力でしたが、これを出したからこそ連載を持つことになる「小説現代」から連絡も来たし、あとにつながった。このなかですでに文体模倣もやっています。今読むとその時の精神的不安定と焦りが出ていて、私としては顔が赤らむところがあります。 |
まだ物書きとして安定する前に、少しは書くことができた短編をまとめたもの。SF小説で作家になれないかとと思いつつも、自分の方向をまだつかんでなかった頃です。どれも軽い作品なのにわりと苦労して書いています。私らしさもまだ出ていない。でも「傷のあるレコード」(文庫には収録なし)と「神々の歌」は、のちのパスティーシュにつながる萌芽のような作品です。
正直言うと、作品のいくつかは「小説現代」に出して不採用だったもの。 |
「小説現代」で書きためたものを一冊にまとめました。これが出世作になりました。 このなかの、「猿蟹の賦」の原稿が雑誌に載ったときのリードコピーに”パスティーシュ”という言葉が書かれていまして、私はそれまでその言葉を知らなかったので、「これどういう意味?」と編集者に訊ねました。この作品でパスティーシュということが確立されていくわけです。 表題作は私が後々名古屋にかかわる大きなきっかけになりました。名古屋のマスコミがとびついてきたことなどいろいろありましたけれど、この作品のおかげで、物書きとしてそれなりに安定することができました。 |
私は、”勉強はエンターテイメントになる”ということに気がついた最初のほうの人間だと思います。世代が違う二人がバーで酒を飲んだ時には音楽の話なんかより、勉強の話をするといいんですよ。”この間の共通一次テストの国語の問題してみました?”とかね。日本というのは教育レベルが均一だから、難しい数学の話なんかも共通の思い出になって笑えるんです。これはかなり計算して狙って書きました。そしたら思いがけなく吉川英治文学新人賞をいただけた。そういう意味で記念的作品ではあります。 |
『ジャック&ベティ』という僕らが使った英語の教科書があって、ある編集者が「二人が生きているとするともう五十歳ですね」と言ったんです。その瞬間に、二人が再開する小説を書こうと思いました。学校で習ったのと同じ訳文でふたりがしゃべったらおもしろいし、この数十年間に入れ替わった日米の状況のなかに置いたらアメリカ批判にもなるぞ、と。 その後、英訳本も出ました。翻訳文を英語に戻しておもしろさは伝わるだろうか、と心配していましたが、ある外国人が読んで大笑いした、という話を聞きました。 パスティーシュが自家楽籠中のものとなって、どんな文章でも書けた時代の短編集。げらげら笑いながら書いてました。『蕎麦と‥‥』『国語入試‥‥』とこれらの小説が私が安定するために柱になってくれた作品。 |
自分のやりたいことがわかって、アイデアはいくらでもでてきていた頃です。当時の私のアイデア見本市みたいな短編集。この頃から、ユーモアがあることを書いても地に足がついている。言葉とかいうものにより深く関わっていこう、と言う気持ちもはっきりしてきました。 |
SF小説を書くのはよそうと思い始めていた頃で、SFのしかけを利用して当時はやりだったレトロを書きました。高校時代に同人雑誌活動をしていた自分の思い出のようなものも入れています。自伝は書かないけれど、思い出をおもしろい短編小説にするかたちではだいぶ書いてますね。 |
「蕎麦ときしめん」で名古屋の悪口を書いた、とみんながいうので、それなら‥‥と思って書いた空想架空時代小説。歴史の i fでおもしろいのは、ひとつ変えただけで歴史が大きく変わること。私は秀吉とねねの間にちゃんと利口な子がいた、という設定にしました。そうすると秀吉が死んだ後のゴタゴタはなくなって、くっきりと”豊臣幕府”になる。江戸の歴史を全部名古屋に置き換えています。 |