邪馬台国発見のための疑問点(未完)


邪馬台国発見の旅についたばかりだが、チョー素人で浅学故のいくつかの疑問点など整理しておきたいことがある。バカにされるかも知れないが、これらの事に関し納得のいく解答を自分で見つけるか或いは誰か研究者の説をさがす事からはじめ、邪馬台国発見の紙上あるいは実地の旅に出たいと思う。


1.地名を割り付けるのに「発音がにている場所」を選ぶ疑問

倭人の発音を聞いて魏の文字に当て字し其の文字の発音に似た地名をあてるのは、誤差に誤差を重ねるものだと思う。その理由として

  @連絡ゲームにおける情報の誤伝達

最初の人に伝えた情報が少しづつ変化して最後にはかなり違ってしまうアレ。

  A他国語をうまく聞き取ったり、発音する難しさ

私の住んでいる横須賀の近くに「汐入(シオイリ)」という駅があるが、ここにある米軍基地内の米国人が「ショイリ」と発音しているのを聞いた事がある、これは多分耳から覚えたのだと思うが。ある2国間で(アジアとアジア、アジアと欧米など)発音の差の大小があるかもしれないが、短時間の接触で他国の言葉をうまく「当て字」できるだろうか。

2.距離の取り扱い

正確でないにしても、相対的な関係は参考や目安になるのではないか。もともと里数あり、日数(陸行・水行)ありで正確に計算できるものではない。片道か往復の平均か、それともいくつかの報告の平均か。季節の変動は。

スピード・・・天気、各地の視察、地理不案内

急ぐ必要があったのか

3.方角の取り扱い

起点と終点の位置関係の場合もあるが、あの時代明確ではなかったと思う。右往左往して結果的に南にあったと書くのだろうか。起点からみてまず歩き出す或いは船出する方向を書いたと考えるのはおかしいだろうか(これは新説か愚説か)。

この一文を書いてすぐ(昨日の今日=98−11−13)同様の事が言われていた事を知った。かの有名な古田武彦さんの主線説というのがあるそうです。それは始発方向、地図上の方向ではなく出発にあたってまず目指した方向を言うのだそうだ。これには賛成だ。

さすが長年にわたって議論されている問題だ、喜ぶべきか、悲しむべきか早速同調できる説にぶつかった。

4.邪馬台国の記録がなぜ日本の史書にないのか

又日本の歴史から消えたのか、邪馬台国が順調に発展して大和朝廷になった場合は当然記録に残るはずだ。

この関連で邪馬台国の研究はいつから始まったのか、それはなぜか。

5.郡使は帰りはどうした。行きと帰りで相当な日数がかかっている、季節も変わり船も心配だろう。

正確にする必要があったか。言い手(報告者)は大変だった(立派な事をなしとげた)と思わせたかったのでは。

6.読む本読む本もっともらしくうつる