敦煌と西安に行ってきました

1999・5・30〜6・4

もう20年も前から密かに抱いていた旅行が、JASの西安直行便の開設で実現しました。



下は敦煌の鳴沙山の砂漠で駱駝に乗った写真です。

敦煌と西安旅行の印象記を、帰ってきた次の日にまとめました。

                  敦煌と西安へ行ってきました。          1999.5.29〜6.3


敦煌の更に西の果て、漢代の烽火台「陽関」に登り、
タクラマカン砂漠とゴビ砂漠の間に立つと「雄大」という字ですら小さく感じ、
やはり「悠久」という表現がぴったりでした。
どこまでも続く乾いた砂漠を見ていると、ふともっと西へ行ってみたいという奇妙な衝動感に駆られます。


世界遺産・「莫高窟」の暗闇の中で、懐中電灯に照らされた、数多くの「唐美人」に遭遇すると、
なんだか時空を超えた不思議な感動を覚え、時が経つのを忘れます。
 

敦煌の名所「鳴沙山」で、とうとう駱駝に乗ってしまいました。
重い人は乗る時に鐙に足をのせられないので、自転車に乗るように右足を上げると、
駱駝の後ろのこぶに引掛かり往生しました。
それでも夕日の砂漠を進むといい気分です。
日本人はほとんどが駱駝に乗るそうです。NHK「シルクロード」の冒頭シーンの影響力がいかに強いことか。


西安の郊外、秦の始皇帝「兵馬俑坑」では、数千体にのぼる精巧な兵馬俑と精緻を極めた銅車馬に、
思っていた以上の圧倒的な威圧感を感じましたが、
発見者の楊さんがいて、図録にサインをもらい握手をすると、その人懐っこい笑顔に急に現在に戻りました。


西安城内にある「八路軍弁事処記念館」に特別に頼んで連れていってもらいました。
日中戦争の決定的な転換点であった1936年12月の西安事件後の紅軍事務所が当時のまま保存されています。
ここで毛沢東と蒋介石の歴史的和解、国共合作と抗日統一戦線結成が工作されました。
ガイドの張さんはここへ来たのは小学校の社会科の授業以来と言っていました。
勿論、日本人の観光客を連れて来たのは初めてだったようです。


西安市の北、咸陽郊外にある中国唯一の女帝・則天武后の「乾陵」はその参道の石像で有名ですが、
前から見たかったここの天馬像にようやく会えました。
想像以上に大きく堂々とした像で、これが遥かシルクロードから
更に遠くのギリシャのペガサスにつながっていることに思いを馳せました。


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