石仏で有名な大分県臼杵市。こんなことでもないとなかなか訪れることはできないと、思い切って旅立った女性3人。3日間、臼杵の街や味を堪能し、全国の先輩方との交流も深め、刺激を受けて帰ってきました。楽しかった旅を少しだけご紹介します。
今年で19回を数えるナショナル・トラスト全国大会。一昨年は鎌倉、昨年は柿田川、そして今年は臼杵。臼杵ってどんなところなんだろう、前知識のほとんどないまま、当日になってしまった。羽田で待ち合わせた私達は順調に臼杵に到着。会場の臼杵市中央公民館に向かい、受付を済ます。
さて、ここから今日は気楽に遠足。用意してくださったバスに分乗して、連れていかれるまま、案内される。まずは臼杵名物、石仏群の見学。平安時代から鎌倉時代にかけて彫像されたといわれる石仏群は立派な屋根が設えてあり、4群59体ある石仏群をぐるりと回って見学することができる。その中で古園石仏の大日如来像は崩壊が激しく首が下に落ちていたものを数年前に修復し、その是非が世の論争を巻き起こしたことはうっすらと記憶にある。
この石仏群は国宝になっているが、石仏の見つめる風景がトラストで保全されている。この里山の風景あってこそ、歴史環境なのだ。臼杵市では石窟寺院で有名な中国の敦煌市と交流も進めており、世界遺産を目指しているらしい。丁寧に解説をしてくださる臼杵デザイン会議のスタッフの方のお顔も何故か大日如来そっくりだった。
次に訪れたのは、的場が浜。臼杵川の河口にある干潟である。津留地区に訪れた。ちょうど潮に引きが悪い季節で干潟はわずかしか現れていなかったが、漁船が並び、背後には的場山といわれる魚つき森をひかえ、漁業で暮らしてきた町のようである。証拠に、地元のご老人が集う公園には、なんと、カニ地蔵、貝の供養塔、魚の墓があった。
中でも、カニ地蔵は、カニグッズを収集するMさん感動もの!台座には大きくカニが掘られており、海に向かって優しいお顔の地蔵様が微笑む。この的場山を中心としてトラストによる保全計画が臼杵デザイン会議により提唱され、市がこれを受け入れる形で周辺の保全の見通しがあると言う。
続いて、この沖にぽっこりと浮かぶ津久見島へと向かう。小さな船2艇に分乗し、島の裏側をぐるりと回って簡素な船着場に着く。臼杵の目の前だが独自の植生を持ち、めずらしい生きもの(オオゴキブリやミカドアゲハ)が暮らし、地質も異質であるというミステリーアイランドである。中腹には因縁のある弁天様が祭られている(詳しい話は聞き逃した)。せっかくだから登って拝んできた。
西日につつまれて島から戻り、一旦宿に荷物を置いた後、懇親会に参加した。会場は臼杵出身の男爵別荘、山海荘。現在は地元の有力企業、フンドーキン醤油が所有しているらしい。こんなときでないとおいそれとと入れない場所である。ところが、日が落ちた後の臼杵の町は暗い。探しても探しても道がわからない、そのうち迷子のグループが集団化し、地元の中学生に道を尋ねながら、やっと探し当てた。お庭で立食パーティは少々寒かったが、名物鮫の湯引きはおいしかった。
この日は朝早起きして、公民館ロビーでせっせと展示の準備をした。倉庫からボードや机を並べるところから始めたので、かなり時間がかかる。小網代の森は一番良い場所をもらった。事前にMさんが用意して送ってくれたパネルやグッズを所狭しと並べる。机が足りなくて、会場の傘たてを無断拝借したのがミソ。お隣の富士山トラストの理事長さんとも昨夜の懇親会以来仲良くなり、会話がはずむ。
さて、ちょっと時間を過ぎてしまったが、今日の午前中のワークショップに向かう。6つのワークショップ毎に会場が分散している。いよいよ臼杵の街並み拝見。せっかくだからと二王座歴史の道をちょっと遠回りをして歩く。お寺や古いお屋敷が立ち並び、タイムスリップしたようである。地図を手に石垣の坂を上がっていると、向こうから来たご婦人が自然と声をかけ、知っているかぎりのことを話してくれる。
会場についた頃にはワークショップは半分くらい終っていたが、全国で活躍するソウソウたる面々が揃っていた。行政側の人もいたし、永年行政に立ち向かってきた人もいた。行政側の理解が足りない、法的な整備を早く、という意見もでて白熱した。そんな中で、世田谷トラストと小網代の森は、行政とうまく協同して保全を進めている事例として紹介された。世田谷はもう別格だが、小網代の森がかながわトラストみどり財団を応援して、保全を願ってきた道が認められたのだと思うと、とっても嬉しかった。まだまだ思うように進まないけれども頑張ろうと感じることができた。
私とTさんはワークショップ3の「水環境(干潟・湿地・渚・河川)の保全」に参加したが、その他に開催されたワークショップは以下の通り。
1:日本におけるナショナルトラスト運動の役割
2:歴史遺産と自然環境の調和したまりづくり
3:水環境(干潟・湿地・渚・河川)の保全
4:臼杵型トラストを探ろう
5:アジアのナショナル・トラスト
6:子供と市民の環境講座
お昼ごはんは臼杵の郷土料理をワークショップの皆さんと会食した。少し離れた街中のちょうど野上弥生子文学館の目の前にある「小手川商店」自慢のみそ汁御膳。トラストのトップリーダーとも言える方とお話しながら(オーラを浴びながら)いただく滋養あふれるご飯はめちゃくちゃ美味しい。体の中からエネルギーが湧いた。
午後からはまた中央公民館に戻り、開会式、そしてシンポジウムが開かれた。主催者挨拶のあと、「全国50団体を超え、今年は韓国釜山からの参加もあった。市民から身近な自然を守ってほしいという問合せや小中学校からの問合せが激増している。トラストも節目に来ているのでは。」という基調報告があった。また今回は特に九州での初めての開催ということもあって、九州地区の各団体からの報告もあった。
シンポジウム:「歴史遺産と自然環境との共生」
東京農大学長、湯布院の町づくりリーダー、愛媛県内子町で村並保存を行政として担当した人、そして臼杵デザイン会議会員の4名のパネリストと佐賀大学助教授のコーディネーターで、臼杵らしさを語った。大学学長が「20世紀は農村の都市化、21世紀は都市の農村化」と格調高く近代文明を論じれば、湯布院は「臼杵は町が生活の場になっている」と羨望し、内子は「内子では観光が一人歩きしていった」と反省をする。ばらばらな話だったがその中でも、湯布院でも臼杵でも運動の核となるのは10人以内、それ以上になると動員型になりうまく行かない、バラバラな10人以内のグループがなんとなく集まって動いている、というのは確かにそうかもしれないと思った。また、「臼杵がいいなあと思ったら、周りの人にあまり言わないで」というメッセージは確固たるものを感じた。
この日の交流会は昔の蔵を修復保存した久家の大蔵と呼ばれる、ポルトガルの装飾タイル、アズレジオが一面に施された建物の中。市が文化行事に使っているそうである。内部は名産の竹で装飾がされており、各地の運動のパネルも展示されている。一人ずつカボスのカクテルを竹のコップに入れ、サービスしてくれる。お箸も竹製でお持ち帰り可。郷土料理のきらすまぶし、ごま豆腐、だんご汁などが美味しくて、つい交流よりも食べるほうに夢中になってしまう。
実は小網代の森を守る会からはもう一人会員のHさんが参加していた。もう何回か全国大会に参加しているという。昼間展示コーナーを一緒に手伝ってくれたかながわトラストのスタッフの方や、昨年スタッフ研修で訪れた柿田川のUさんなど、一緒に記念撮影。
赤目の森の伊井野さんとも再会。
新米物は気遅れしながら、あいかわらず元気で明るい全国の先輩たちの様子を眺めているだけで十分。でも「トラスト」という精神でつながっているせいか、居心地は悪くない。
この街では、4年前から11月初めに「うすき竹宵」というお祭りが開かれるようになった。石畳に竹ぼんぼりが1万本もともされ、町中が幻想的な光に包まれるそうである。青年会議所などの若手グループが中心になった実行委員が運営していると聞く。会場の周囲に竹ぼんぼりが灯され、その雰囲気を味わわせていただいた。
交流会終了後、もっと楽しいことが待っていた。「うすき妖怪ツアー!」
はるか昔からの言い伝えや、因縁の残る場所の多い臼杵。余計な街灯の無い街。真っ暗な街を、提灯ひとつ下げた「たわけの会」の人の案内で、妖怪に会いに行く。ぞくぞくするような不思議な世界。ここなら本当に妖怪がいる。このツアーが臼杵のすべてを語っていたような気がする。
今朝は大会が始まる前にどうしても行きたいところがあった。臼杵城があったという城址公園。街の真ん中の高台にあり、あそこからなら臼杵全体を見渡せると思った。早めにチェックアウトして、お稲荷様の赤い鳥居の並ぶ階段を上り詰めると、平らな公園が開けていた。ここの木はみんな桜、花見のときは素晴らしいだろう。
みんな同じことを考えるものである。大会でご一緒した人が何人も訪れていた。朝のあいさつを交わす。
一昨日の津久見島も臼杵川河口のあたりもよく見える。ずっと歩いていくと、かつてこの地を納めていたという大友宗麟のレリーフがあったり、奥には護国神社が祭られていた。
ふと見ると、向こうからくるのはMさん、やっぱり!
苔むした石垣はしっかりと残っており、その上に櫓が新しく作られていた。しっかりとした櫓はおそらく、また数百年と後世に残るのだろう。本物の造りができる技術が街の中に受け継がれているからだと思う。
最終日は本大会の目玉ともいえる記念鼎談。「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の尾道3部作で有名な大林宣彦映画監督を迎えて、トラスト副会長の木原啓吉氏を進行役として、臼杵市長後藤國利氏との対談だった。(以下敬称略)
(対談の内容)
木原:大林監督は現在臼杵を舞台に「なごり雪」という映画を製作中である。つい1週間前までロケ隊が街中をかけまわっていた。大林監督と臼杵との、まずは出会いを。
大林:尾道では街の皺を撮って、多くの人から醜い、街の恥をさらすと言われた。けれども人の心の年輪が皺になり、悲しい皺嬉しい皺があり、親の皺が美しいのと同じように街にも皺もある。それに何かを感じて全国から若者が一人二人と訪れるようになった。映画の記念碑を建てようという話もあったが、二十数年間一切の街の観光化に反対してきた。しかし、最近では開発の波も迫ってきているが。臼杵へはたまたま仕事で訪れ、素晴らしい街だと思った。とにかく、柵がない街。柵がないから自分で身を守る、お互いに身を守る、自分より弱いものを自然と思いやる。正気を保っている街である。古い街は今にこそ生き、明日に伝える。「なごり雪」では多くの市民にエキストラとして協力してもらった。画面に顔は出てこないが、そんな街の人々の気配が映っていると思う。
後藤:他の自治体からどうやって映画を誘致できたのかと訊かれるが、決してお願いしたわけではない。初めて監督とお会いしたときは映画を観たことがなかったくらい。お会いして映画を拝見して、共感し、市民全体で映画作りに協力することになった。映画が公開されると、臼杵が有名になり観光客が訪れる。今まで「待ち残し」てきたこの街をどう守っていくか、これからが大変。
木原:映画の中にでてくる高校の名前が風成(かざなし)高校というらしいが。
大林:物語は虚構である。ウソにはやましさがある。物語の中では、ウソも時には真になってくる。高校の名前は、スタッフの案の中から、たまたま響きがよいものを選んだ。それが臼杵にとって特別のものであることを知らずに。
後藤:臼杵には風成高校という高校はなく、実際には臼杵ではない別の場所で撮影している。三十数年前の話になるが、臼杵でセメント工場建設に反対して激しい闘争があった。それが風成(かざなし)という地区だったので、風成闘争と呼ばれた。私は反対運動の事務局をしていた。裁判は勝った。強い信念のもとに運動をし、それが大多数に届けばよいと願っていたが、当然工業開発を望む人も多く、村は真っ二つになり、いつまでも悲しい傷が残った。それが今でも原罪意識(やましさ)となり、触れられぬようにしまいこんできたが、今日初めて皆さんの前で明かした。
大林:映画監督で大事なのは「OK」。半分正しければ、半分NG。映画は覚悟で作るもの。残りの半分にやましさを持って怯えるという素質も必要。市長は映画監督になってもきっと成功する(笑)。人間を幸せにしたかどうか、それは長い年月がたたないとわからない。
日本建築は木と紙の文化。隣の部屋にいる人の気を感じ、いたわり合う。戦後入ってきた欧米の石の文化では隣の音は聞こえない。欧米人は言葉でコミュニケーションをとるが、日本人はそれができないから、家の中でも柵だらけ、孤独になってしまった。また、現代は消費経済であり、壊してはまた新しいものを作る。日本文化はメンテナンスの思想であり、古くなればなるほど美しいという文化である。これからは消費経済から蓄積経済へ進まなくてはならない。臼杵は、文明の象徴である柵(ガードレール)のない街、歴史的な遺産に上手にメンテナンスを加えながらそこで生きる街、古くて深くてゆったりとした街。半分残ったやましさを見つめながら、臼杵らしい街であって欲しい。
臼杵市が抱えてきた過去がちょっぴりと垣間見え、多少なりともやましさを感じながらトラスト運動を進めているこの日の聴衆には心打つものがあり、また一層この臼杵の行方が気になりだした。
なお、映画「なごり雪」は来春以降に公開予定だそうだ。絶対見なくては!
★関連ホームページへの勝手にリンク
うすき市役所ホームページhttp://www.city.usuki.oita.jp/
うすき市長ホームページhttp://www.jititai.com/
フンドーキン醤油http://www.fundokin.co.jp/
臼杵ふぐhttp://www.usuki-fugu.com/
なお、来年の記念すべき第20回ナショナル・トラスト全国大会は
北海道・知床に決定!2002年9月3週の予定だそうです。