Keywords: 宮台真司をめぐるキーワード集 |
宮台真司をめぐる言説を理解する上で重要と思われるキーワードについて簡単な説明を行ないました。宮台氏の著作等を参考にしてはいますが、あくまでも私(なんばりょうすけ)の解釈に基づく説明であることを御了承下さい。
(まだまだ作成途中です)
欺瞞的なイメージといっても社会に対して許し難い裏切りを感じたり、社会を反抗すべき対象として感じたりするわけではない。少年たちは社会のタテマエが現実と違うのを知っても、現実がタテマエに従うべきとは思わない。むしろ彼ら自身現実に忠実に従うのが賢い選択だと了解する。
「買春はイケナイ」「差別はイケナイ」「イジメはイケナイ」「自殺はイケナイ」などといった世間に流通する価値観を、「世間じゃみんながそう思っている、そう思わなきゃダメだ」と信じることができるうちはタテマエがウソだというよりは、現実が間違っているように思える。
しかし少年たちは、例えばテレクラや伝言ダイヤルといった現実があからさまに露出するメディアを通じて世間を信じるよりも先にデタラメな現実を学習してしまう。こうなると現実こそが本当で、タテマエのウソはむしろ抜けがけを可能にする利用可能な落差ということになってしまう。
Refereces:
[B.1996a] ,
[A.1996a] ,
[P.1996f]
この先の世界には輝かしき進歩もなく、おぞましき破滅もなく、いまのままの日常が永遠に続くという感覚。そのように認知される世界は、適応できた者にとっては天国であり、適応できない者には地獄である。
適応できた者の代表がブルセラ少女であり、適応できなかった者の代表がオウムであろう。
ブルセラ少女は居心地の悪い家庭や学校とも適当に折り合いをつけつつブルセラの稼ぎで金はかかるが居心地の良い街にとけこむ。一方のオウムは居心地の悪い社会から逃走し、変革とそれに続く輝かしき未来を夢想するが、夢想するだけでは日常は終らないと見るや、夢想の現実化を企むが、結局は失敗する。
Refereces: [B.1995a] , [B.1996a]
Refereces: [B.1994a] , [B.1995a]
See Also:
さまよえる良心,
終りなき日常
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